天才騎手・横山典弘と藤沢厩舎「2度目の絶縁」全内幕(3)冷ややかな目で見られます ツイート 2013/06/13 ダービー開催週、藤沢師はコディーノを水曜に東京競馬場に持っていき、木曜追い切りをやった。「土曜の朝にはスクリーング(装鞍所からパドックに移動する予行演習)もやりました。他の調教師たちは『乗り役を替えて、今までやったことがないことをやって、結果が出るわけがないだろ』と冷ややかでした」(競馬解説者) そして迎えた大一番。ウィリアムズ騎乗のコディーノは1コーナーで他の馬と接触、頭を上げて引っ掛かり、そのまま2コーナーまで頭を上げていた。直線でも伸びを欠き、勝ったキズナから0.5秒離されての9着入線。乗り替わりは奏功しなかった。レース後、藤沢師は落胆の色がありありの表情で、惨敗の要因を次のように説明している。「1コーナーでバランスを崩して他の馬にぶつかり、そこで燃えすぎてしまった。レースを見た感じ、距離も長いから、秋は天皇賞かな」 乗り役を替えて結果が出なかったことで、「トレセンでは、よけいに冷ややかな目で見られますよね」(前出・競馬ライター) 横山の心中はいかばかりか──。 超大物調教師とNO1騎手という関東のツートップ。実はこの両者の断絶はこれが2度目だった。 コトが勃発したのは03年。またしても日本ダービーだった。藤沢厩舎のゼンノロブロイに騎乗した横山は2着に終わる。藤沢師は「直線で必要以上に外に持ち出した。距離のロスで負けた」との理由から、以降、横山を自厩舎の馬に一切乗せなくなった。「互いに口もきかず、挨拶もせずの状態が続きました」(前出・競馬解説者) ところが05年、横山は天皇賞・秋で2年5カ月ぶりにゼンノロブロイに騎乗。藤沢師から「頼む」と声をかけ、雪解けしたという。前出・トレセン関係者は、「厩舎スタッフは『これといった出来事があったわけではなく、何となく大人の対応で』と話していましたけどね。ある程度、時間がたったからでしょう」と言うが、東京馬主協会スタッフがこう明かす。「横山は昔はやんちゃで、遅くまで飲んで調教に遅れたこともあり、『もう乗りに来なくていい』と藤沢師に怒られたこともあった。もちろん、大舞台で結果を出せなかったこともある。その後、飲みっぷりをセーブするなど生活態度を改めたことが認められ、雪解けに至ったと聞いている」 04年の天皇賞・春では、10番人気イングランディーレ騎乗の横山が、3コーナー時点で20馬身もリードする大逃走劇を演じ、2着に7馬身もの差をつけて圧勝。その2着馬が外国人騎手を配したゼンノロブロイだった。馬主協会スタッフが続けて言う。「このレースをはじめ、藤沢師もその間の横山の乗りっぷりを見て、さすがに光るところがあったという気持ちだったろう」 今回はどうか。前出・トラックマンは嘆息するのだ。「横山は『このあと、自分が乗らなくてもコディーノを応援していきますよ』と馬には愛情を見せつつも、『もう(藤沢厩舎の馬には)乗らない。用なしだと言われたんだ』とスネている、とも聞きます。年も年だしプライドもある。修復は難しいかもしれない‥‥」 競馬界はこのまま豪腕コンビを失ってしまうのか。 タグ: コディーノ,ダービー,横山典弘騎手,武豊騎手,藤沢和雄調教師,週刊アサヒ芸能 2013年 6/13号 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [青森県] [石川県] [韓国] [福島県] [愛知県] [茨城県] [静岡県] [北海道] [徳島県] [北海道]
ダービー開催週、藤沢師はコディーノを水曜に東京競馬場に持っていき、木曜追い切りをやった。
「土曜の朝にはスクリーング(装鞍所からパドックに移動する予行演習)もやりました。他の調教師たちは『乗り役を替えて、今までやったことがないことをやって、結果が出るわけがないだろ』と冷ややかでした」(競馬解説者)
そして迎えた大一番。ウィリアムズ騎乗のコディーノは1コーナーで他の馬と接触、頭を上げて引っ掛かり、そのまま2コーナーまで頭を上げていた。直線でも伸びを欠き、勝ったキズナから0.5秒離されての9着入線。乗り替わりは奏功しなかった。レース後、藤沢師は落胆の色がありありの表情で、惨敗の要因を次のように説明している。
「1コーナーでバランスを崩して他の馬にぶつかり、そこで燃えすぎてしまった。レースを見た感じ、距離も長いから、秋は天皇賞かな」
乗り役を替えて結果が出なかったことで、
「トレセンでは、よけいに冷ややかな目で見られますよね」(前出・競馬ライター)
横山の心中はいかばかりか──。
超大物調教師とNO1騎手という関東のツートップ。実はこの両者の断絶はこれが2度目だった。
コトが勃発したのは03年。またしても日本ダービーだった。藤沢厩舎のゼンノロブロイに騎乗した横山は2着に終わる。藤沢師は「直線で必要以上に外に持ち出した。距離のロスで負けた」との理由から、以降、横山を自厩舎の馬に一切乗せなくなった。
「互いに口もきかず、挨拶もせずの状態が続きました」(前出・競馬解説者)
ところが05年、横山は天皇賞・秋で2年5カ月ぶりにゼンノロブロイに騎乗。藤沢師から「頼む」と声をかけ、雪解けしたという。前出・トレセン関係者は、
「厩舎スタッフは『これといった出来事があったわけではなく、何となく大人の対応で』と話していましたけどね。ある程度、時間がたったからでしょう」と言うが、東京馬主協会スタッフがこう明かす。
「横山は昔はやんちゃで、遅くまで飲んで調教に遅れたこともあり、『もう乗りに来なくていい』と藤沢師に怒られたこともあった。もちろん、大舞台で結果を出せなかったこともある。その後、飲みっぷりをセーブするなど生活態度を改めたことが認められ、雪解けに至ったと聞いている」
04年の天皇賞・春では、10番人気イングランディーレ騎乗の横山が、3コーナー時点で20馬身もリードする大逃走劇を演じ、2着に7馬身もの差をつけて圧勝。その2着馬が外国人騎手を配したゼンノロブロイだった。馬主協会スタッフが続けて言う。
「このレースをはじめ、藤沢師もその間の横山の乗りっぷりを見て、さすがに光るところがあったという気持ちだったろう」
今回はどうか。前出・トラックマンは嘆息するのだ。
「横山は『このあと、自分が乗らなくてもコディーノを応援していきますよ』と馬には愛情を見せつつも、『もう(藤沢厩舎の馬には)乗らない。用なしだと言われたんだ』とスネている、とも聞きます。年も年だしプライドもある。修復は難しいかもしれない‥‥」
競馬界はこのまま豪腕コンビを失ってしまうのか。