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ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(5)「ミス本番・裕美子」に熱狂 | アサ芸風俗

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(5)「ミス本番・裕美子」に熱狂

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(5)「ミス本番・裕美子」に熱狂

2013/06/11

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(5)「ミス本番・裕美子」に熱狂

 AV誕生とほぼ歩調を合わせながら発展してきたAV雑誌。アイドルブームにより、爆発的なヒット作を次々と生み出し、家庭に普及した80年代から、黄金期を経て、90年代半ばからセルビデオが業界を席巻する。だがAV誌は、混迷の時代を迎えることとなる。はたして、AV業界に何が起こっていたのか──。

 日本で最初のAV雑誌は、1982年創刊の「ビデオプレス」(大亜出版)である。日本初の“撮り下ろしAV”と言われる「ビニ本の女」「OLワレメ白書」(ともに日本ビデオ映像)の発売がその前年の81年。そのあとに販売されたAV(当時はポルノビデオと呼ばれていた)のほとんどが、にっかつや東宝などの成人映画をビデオ化した作品がほとんどだったという時期に当たる。「ビデオプレス」の創刊号では、洋物のポルノ作品の紹介記事が多く、日本のAVはまだまだ“小さな動き”にすぎなかった。

 しかし翌83年になると、AV業界は飛躍的な成長を遂げる。ビデ倫の審査を受けるいわゆるAVメーカーは77社を数え、作品数も986本を数えた。これはレンタルビデオのサービスが、公式にスタートしたことが追い風となった。先週に紹介した「ビデオ・ザ・ワールド」の創刊もこの年であった。

 そして84年にAV業界は、空前のアイドルブームを迎える。1月に発売された「ミス本番・田所裕美子19歳」(宇宙企画)が爆発的なヒットを記録。従来の成人映画の女優とは違う「普通っぽい美少女」の登場は多くの男性を熱狂させた。

 AVライターの沢木毅彦が振り返る。

「それまでピンク映画雑誌のライターをやってたんだけど、この年に『ビデパル』(東京三世社)が創刊してAVの原稿も書くようになったんです。最初はAVにはあんまり興味がなかったんだけど、田所裕美子を見て『こんなにかわいい子がいるのか!』って驚いて、慌ててビデオデッキを買いましたよ。それまでのピンク映画だと、おばさんがセーラー服を着てるような世界だったから」

 普通っぽい美少女がセックスを見せるという「美少女本番」がこの時期のAVのキーワードとなる。そこで人気を集めたのが「ミス本番」シリーズを制作した宇宙企画だった。

 当初はドキュメント物やSM物なども撮っていた宇宙企画だったが、やがてノスタルジックでキレイなイメージを前面に打ち出した美少女路線を確立する。その代表的な監督といえば、さいとうまこと氏だった。

「大林宣彦の映画とか、篠山紀信の『激写』なんかから影響を受けていましたね。ビニ本みたいな露骨な世界は好きじゃなかった。だいたいカラミを撮るのが苦手なんですよ。でも、どんなソフトでも売れたから、もう好き勝手にやってましたね。予算も青天井で、尾道で1週間ロケとか、思いつくままに撮って1年かかるとか。それで一切、カラミはないんです(笑)。今じゃ考えられないですけど」

◆フリーライター 安田理央