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ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(7)インディーズ登場で業界が一変 | アサ芸風俗

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(7)インディーズ登場で業界が一変

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(7)インディーズ登場で業界が一変

2013/06/13

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(7)インディーズ登場で業界が一変

 宇宙企画の失速と、入れ代わるようにして台頭してきたのが、過激な本番と総帥・村西とおる監督の強烈なキャラクターを打ち出したダイヤモンド映像に代表されるハードな路線のメーカーだった。

 女優陣も樹まり子や星野ひかる、松坂季実子といった人気AV女優も次々と登場し、AV業界は第一次黄金時代を迎えた。91年には「ビデオソフトメーカー感謝祭」が豪華客船を貸し切って行われるなど、バブル期らしい盛り上がりを見せた。

 その勢いは、AV雑誌にも波及した。「ビデオ・ザ・ワールド」や「ビデオボーイ」の老舗雑誌に加え、「ビデオプレス」が改名した「トップビデオ」、「ベストビデオ」(三和出版)、「ビデオ・エックス」(笠倉出版社)など乱立。さらには、「オレンジ通信」(東京三世社)、「アップル通信」(三和出版)、「さくらんぼ通信」(ミリオン出版)といった通称“フルーツ本”も市場をにぎわした。

 フルーツ本とは、果物の名前が付けられた誌名から総称されるようになったのだが、これらの雑誌はもともとはビニール本や裏本、裏ビデオなどのアダルトメディア全般を扱う情報誌が、徐々にAV専門誌へと変わっていったのだ。AVが名実ともにアダルトメディアの王者となったことを象徴する出来事である。

 だが、バブルは長い期間続くことはなかった。バブル崩壊とともに、AV業界にも不況の波は押し寄せ、ダイヤモンド映像やアロックスといったメーカーが倒産。「AVアイドルモノ」よりも安い制作費で済む「企画モノ」が急増するといった影響もあったが、AVがアダルトメディアの王者であるという状況に変化はなかった。むしろAV出身の飯島愛が芸能界で大ブレイクするなど、AV女優がテレビで活躍する例も増えてきた。

 しかし90年代後半、AV業界には大きな変化が訪れた。それが「インディーズブーム」だった。

 それまでのAVは、ビデ倫の審査を受け、レンタルショップで流通するものだった。しかし、90年代半ばから急増したインディーズビデオは、ビデ倫の審査を受けずにビデオショップやアダルトショップで販売された。この時期、すでに雑誌のヌードグラビアでは、アンダーヘアは、事実上解禁されていたのに、ビデ倫はそれを許さなかったため、AVではヘアにも修整がかけられていた。そこでビデ倫の審査を受けないインディーズビデオは“ヘア無修整”を売りにしたのだ。ソフト・オン・デマンドの「全裸オーディション」シリーズなどは、数十人のヘアが見られると、大ヒットを記録。ビデ倫AVの巨大なモザイクに辟易していたユーザーは、インディーズビデオに飛びついたのだった。

◆フリーライター 安田理央