私は原発風俗嬢(3)風俗は原発作業員が本音を漏らす“駆け込み寺” ツイート 2013/07/31 廃炉に向けて、安定化作業が進められる福島第一原発。周辺地域には、現在も作業に従事する地元住民や、かつて勤務していたOBも少なくない。しかし、彼らには家族や同僚にも話せない本音を、肌の触れ合ったデリヘル嬢だけに漏らすこともあるという。*「入店してすぐにあの災害でしたから。私の地元だと『客が入ってる』って噂のお店がなかったから、はるばる、と言っても車で1時間もかかりませんが‥‥。せっかく心を決めて(デリヘル勤務を)始めたのに、出はなをくじかれた(笑)。お店自体は、震災直後は営業できなくて、再開したのは次の月から。でも慣れていない仕事なのに、再開当初は休む時間もなかったくらいでした。今はだいぶ落ち着きましたが」 現在も週5日のペースで福島のデリヘルで働く奈美さん(38)は、身長168センチのスレンダーボディ。結婚後は、専業主婦として3人の子供の育児に専念。ようやく、子供に手がかからなくなったタイミングで、生活費の足しにしようと、11年2月にデリヘルでのアルバイトを始めた。ところが、そのやさきに東日本大震災と、直後に福島第一原発のメルトダウンという事態に直面する。だが、福島原発から、片道1時間以上も離れているため、今もデリヘル勤務は辞めることは考えていないと言う。「さすがに家のことや子供の迎えとかを旦那さんにやってもらってるのが悪くて‥‥。前はオープン時間に合わせて出勤していたんですけど最近、もう少し遅くの出勤にしてもらいました」 目を細めながら笑顔を浮かべる奈美さんは、えくぼが印象的な美熟女。福島原発の作業員のみならず、被災者からの指名が数多いのもうなずける。「そうですね。私は、被災者の方よりも、作業員の方につくことが多いんです。客層的にはわりと上の立場かなって方が多いです。年齢的には40代後半とか‥‥。作業員の中には60~70代の人もいました。プレイですか? もちろん普通にもしますが、話だけ聞いて終わる時も多いですね。私、話しやすいんでしょうかね。手抜きしてるわけじゃないんですが(笑)」 奈美さんにとって、原発作業員もひとりひとりの客でしかない。しかし、震災から2年が経過しようとする今、相手をした原発作業員は皆、それぞれが印象深かったという。「恐らく作業員の方には、20人以上会っていますね。悪い言い方になっちゃうかもしれませんが、いい意味での男性の本能がまる出しというか‥‥性欲がすごいんですね。男性って死を身近に感じると子孫を残そうとするっていうじゃないですか。それがそのままっていうか。人間の業の深さを常々感じさせられますね」 いわば、そうした“性のはけ口”として、原発作業員と向き合う日々。死と隣り合わせと言っても過言ではない仕事をしている作業員が現場を離れて裸になった時に、彼女にどんな顔を見せるのだろうか。「いちばん印象的な人は‥‥。元作業員というか、東電の(福島第一)原発を最初に造ったって言っていたおじいちゃん。たぶん60代後半~70代ぐらいでした。その人はしみじみ『あれ(福島第一原発)は俺たちが造ったんだ。だから本来なら、俺たちが片づけるべきなんだ。これからの将来がある若者とかに本当はやらしちゃなんねぇんだ。老い先短い俺たちが本当はやらなくちゃいけねぇんだよ』って、涙を浮かべて一生懸命にしゃべるんです。私は何て返事していいのかわからないし、どんな顔をしていいのかもわかりませんでしたね。『そうだね。そうだね』ってうなずくことしかできませんでした」 奈美さんも、おじいちゃんとのエピソードを話しだすと、たまらず、胸から込み上げるものがあったのか、目に涙を浮かべていた。「あとは被災者の人ですけど『おっかもチビ(子供)も流されちまって、いねぐなってぇ』って私のおっぱいに顔をずっと埋めてて。そういう感じの人が多いですね。何ででしょう。もちろん、こういうお店に来るんだから性処理を目的としてるんでしょうけど、ちょっと違う感じがします」「生」と「性」が隣り合わせの場所である風俗は、今も原発作業員たちの“駆け込み寺”となっているようだ。 タグ: 福島第一原発,週刊アサヒ芸能 人気記事特集,酒井あゆみ,震災,風俗嬢 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [福島県] [静岡県] [東京都] [栃木県] [島根県] [岩手県] [北海道] [長野県] [岡山県] [東京都]
廃炉に向けて、安定化作業が進められる福島第一原発。周辺地域には、現在も作業に従事する地元住民や、かつて勤務していたOBも少なくない。しかし、彼らには家族や同僚にも話せない本音を、肌の触れ合ったデリヘル嬢だけに漏らすこともあるという。
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「入店してすぐにあの災害でしたから。私の地元だと『客が入ってる』って噂のお店がなかったから、はるばる、と言っても車で1時間もかかりませんが‥‥。せっかく心を決めて(デリヘル勤務を)始めたのに、出はなをくじかれた(笑)。お店自体は、震災直後は営業できなくて、再開したのは次の月から。でも慣れていない仕事なのに、再開当初は休む時間もなかったくらいでした。今はだいぶ落ち着きましたが」
現在も週5日のペースで福島のデリヘルで働く奈美さん(38)は、身長168センチのスレンダーボディ。結婚後は、専業主婦として3人の子供の育児に専念。ようやく、子供に手がかからなくなったタイミングで、生活費の足しにしようと、11年2月にデリヘルでのアルバイトを始めた。ところが、そのやさきに東日本大震災と、直後に福島第一原発のメルトダウンという事態に直面する。だが、福島原発から、片道1時間以上も離れているため、今もデリヘル勤務は辞めることは考えていないと言う。
「さすがに家のことや子供の迎えとかを旦那さんにやってもらってるのが悪くて‥‥。前はオープン時間に合わせて出勤していたんですけど最近、もう少し遅くの出勤にしてもらいました」
目を細めながら笑顔を浮かべる奈美さんは、えくぼが印象的な美熟女。福島原発の作業員のみならず、被災者からの指名が数多いのもうなずける。
「そうですね。私は、被災者の方よりも、作業員の方につくことが多いんです。客層的にはわりと上の立場かなって方が多いです。年齢的には40代後半とか‥‥。作業員の中には60~70代の人もいました。プレイですか? もちろん普通にもしますが、話だけ聞いて終わる時も多いですね。私、話しやすいんでしょうかね。手抜きしてるわけじゃないんですが(笑)」
奈美さんにとって、原発作業員もひとりひとりの客でしかない。しかし、震災から2年が経過しようとする今、相手をした原発作業員は皆、それぞれが印象深かったという。
「恐らく作業員の方には、20人以上会っていますね。悪い言い方になっちゃうかもしれませんが、いい意味での男性の本能がまる出しというか‥‥性欲がすごいんですね。男性って死を身近に感じると子孫を残そうとするっていうじゃないですか。それがそのままっていうか。人間の業の深さを常々感じさせられますね」
いわば、そうした“性のはけ口”として、原発作業員と向き合う日々。死と隣り合わせと言っても過言ではない仕事をしている作業員が現場を離れて裸になった時に、彼女にどんな顔を見せるのだろうか。
「いちばん印象的な人は‥‥。元作業員というか、東電の(福島第一)原発を最初に造ったって言っていたおじいちゃん。たぶん60代後半~70代ぐらいでした。その人はしみじみ『あれ(福島第一原発)は俺たちが造ったんだ。だから本来なら、俺たちが片づけるべきなんだ。これからの将来がある若者とかに本当はやらしちゃなんねぇんだ。老い先短い俺たちが本当はやらなくちゃいけねぇんだよ』って、涙を浮かべて一生懸命にしゃべるんです。私は何て返事していいのかわからないし、どんな顔をしていいのかもわかりませんでしたね。『そうだね。そうだね』ってうなずくことしかできませんでした」
奈美さんも、おじいちゃんとのエピソードを話しだすと、たまらず、胸から込み上げるものがあったのか、目に涙を浮かべていた。
「あとは被災者の人ですけど『おっかもチビ(子供)も流されちまって、いねぐなってぇ』って私のおっぱいに顔をずっと埋めてて。そういう感じの人が多いですね。何ででしょう。もちろん、こういうお店に来るんだから性処理を目的としてるんでしょうけど、ちょっと違う感じがします」
「生」と「性」が隣り合わせの場所である風俗は、今も原発作業員たちの“駆け込み寺”となっているようだ。