私は原発風俗嬢(5)復興特需後に待ち受けていた閑古鳥の日々

私は原発風俗嬢(5)復興特需後に待ち受けていた閑古鳥の日々

2013/08/02

私は原発風俗嬢(5)復興特需後に待ち受けていた閑古鳥の日々

 復興特需でにぎわった福島フーゾクも、震災後2年を経て、転機を迎えつつあるという。その現状とは──。

「震災直後の11年5、6月からは本当に忙しかったよ。女の子は、1回呼ばれると、夜までずっと帰れないほどだった」

 そう振り返るのは、福島市内の老舗デリヘル店経営者だ。もともと地元密着型で、常連客を中心にマイペースに営業してきたが、震災後は予想だにしない繁盛ぶりだったという。

「震災直後は、お客さんも風俗どころじゃないし、放射能が心配で実家に帰る女の子がいたり、もういつ潰れるんじゃないかと本当に不安だった」

 しかし、その不安は杞憂に終わる。

「近所のホテルが連日満室になったと思ったら、突然、原発作業員が客としてドンドン来始めたんだ。それより目立ったのが、避難区域から市内に逃げてきた人たち。彼らは、昼間はパチンコ、夜は飲み屋に繰り出して、そのあと風俗三昧。派手に遊んでいたね。東電から一時的に出た保証金8万円の他、毎月1人10万円の保証金をもらっていたんだから。女の子に、『俺の家は7人家族だから、1カ月70万円の収入なんだ!』と自慢してたよ」

 そんな中、一時的に避難していた女の子も徐々に戻り始めたという。

「地元出身で『福島で生活していくしかないから』と戻ってきたコや、今まで勤めていた一般企業が潰れて、初めて風俗に足を踏み入れたコもいた。他の店は東京のスカウト会社から短期で女の子を借りていたよ。クオリティは高いけど、そのコが稼げば稼ぐほどスカウト会社にバックマージンを取られるから、ウチは使っていなかったけどね」

 だが、こうした“復興特需”は長続きしなかった。

「去年の夏を過ぎた頃から、急にお客さんが来なくなった。女の子の送迎で、夜の9時頃に車を走らせると、対向車も全然いない。以前は深夜0時でもひっきりなしに車が走っていたのに‥‥。ラブホテルの駐車場もかつては満室の案内板がこうこうと光っていたが、今では3台ほどの車がむなしく止まっているだけだ」(前出・オーナー)

 最盛期は、3000人もの作業員が勤務していた福島第一原発も、昨年からは平日で2000人。土日には500人の作業員が働いているものの、人数の減少傾向は今後も続きそうだ。さらに、避難区域からの避難民が財布のヒモを引き締め始めたのも同時期だった。

「さすがに(避難)解除されていない避難民は、目を覚ましたんだろうね。『遊んでちゃダメだ』って。一時的に客が増えたように錯覚したけど、彼らがいなくなって初めて、危機的現状に気づいたんだ。俺たちは家も流されないし、避難区域でもないし、一般企業でもないから、どこからも保証金がもらえない。“本当の被災者”はこういうところにいるんだよ」

 そんな福島の現状とは対照的に、同じく被災地の仙台フーゾクは、今後もさらに盛況が続く見込みだという。昨年末に人妻デリヘルを出店したオーナーも明るい口調で話す。

「女の子は地元のコの他、都内の『ぜひ東北で働きたい』というコが多いですね。また、今後は津波被害にあった石巻にゼネコン関係者が集まるようで。石巻は宿泊施設がないので、仙台のホテルを借り上げて石巻に通うそうなんです。そこで、僕たちの出番というわけです。3月には復興予算が出ると聞きますし、これからは“復興特需”が始まると思います」

 原発事故から2年を経て、被災地フーゾクは、新たな局面を迎えているようだ。