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遊郭からソープへ変貌した「吉原の360年」(1)法規制でも変わらない“現代の遊女”のたくましさ | アサ芸風俗

遊郭からソープへ変貌した「吉原の360年」(1)法規制でも変わらない“現代の遊女”のたくましさ

遊郭からソープへ変貌した「吉原の360年」(1)法規制でも変わらない“現代の遊女”のたくましさ

2013/09/13

遊郭からソープへ変貌した「吉原の360年」(1)法規制でも変わらない“現代の遊女”のたくましさ

 江戸幕府が正式に認めた唯一の遊郭、それが吉原である。現在も日本有数のソープランド街として知られる吉原は約360年の歴史を誇る。その刻まれた時には、法規制や戦火、震災とさまざまな外的要因による変化を受け入れてきた歴史でもあった。しかし、「現代の遊女」は今も健在。実にけなげでたくましかったのだ。

 東京メトロの三ノ輪駅を降りて、土手通りを南下していく。約20分も歩くと、大きな交差点に行き着いた。信号には「吉原大門」と掲げられている。かつての「吉原遊郭」付近だ。

 信号を見逃しても、その一角には「見返り柳」が植えられており、ここが遊郭の入り口であることはわかる。京の「島原遊郭」を模して植えられた柳は、男たちが遊女と一晩の契りを交わして帰る際に、後ろ髪引かれる思いで大門を振り返ったことから名付けられた。

 今回の吉原散策のガイドを引き受けてくれた「吉原青年部」の瀧波修氏が言う。

「この柳も江戸時代から植えられているものではありません。3代目の柳になります。当時は、この近辺に馬を置いて、お侍や町人の遊び人たちが大門に向かっていったのです」

 現在の「吉原大門」の交差点を右に曲がる。そこから大門までの「五十間通り」と呼ぶ道は、くの字にカーブとなっている。

「遊郭は外の世界とは別世界ですから、街の中がそのまま見えないように、この道はくの字形になっているのです。これも遊郭の名残と言えますね」(瀧波氏)

 そして、かつての「男の楽園」の入り口に立った。大門は存在しない。いや、ソープの看板が目に入らなければ、吉原に来たことすら気づかない。そびえ建つ高層マンション、コンビニ、そのどれもが都会の風景でしかないためだ。

「細い路地は変わっていますが、街の区割り自体は江戸時代と大きな変化はありません。ただ、残念ながら遊郭をしのばせるものは少ないです。周囲に掘られた『お歯黒どぶ』も船で訪れる遊び人が通った『山谷堀』も埋め立てられていますし、古い建物もわずかに残るだけです」(瀧波氏)

 それも、赤線時代のアールデコ調の建物と仲之町通りにある「引手茶屋」だった建物だけだという。

 敷地面積2万767坪の「吉原遊郭」には、遊女や妓楼関係者など約1万人もの人々が暮らしていた。往時の光景を思い浮かべるには、現在の風景を眺めるだけでは、なかなか難しいのが現状である。