男たちの桃源郷(3)遊郭跡で江戸時代の情緒を感じる!

男たちの桃源郷(3)遊郭跡で江戸時代の情緒を感じる!

2013/09/12

男たちの桃源郷(3)遊郭跡で江戸時代の情緒を感じる!

 九州は長崎市の「丸山遊郭」だ。丸山は江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大遊郭「三場所」の一つであり、江戸時代は大変なにぎわいであった。

 その「丸山遊郭」は長崎開港後の慶長年間(1596年~)の初めには、この付近に三軒家と呼ばれる遊女屋が建っていた。

「その頃の遊女である『音羽』『高尾』が、諏訪神社に踊りを奉納したのが『長崎くんち』の発祥と言われています。その後、官命によりあらためて『丸山遊郭』を開き、市中の遊女を集めたのが、1642年(寛永19年)です。井原西鶴に『長崎に丸山といふ所なくば、上方の金銀無事に帰宅すべし~』と詠われたのは有名な話です」

 記録によると、延宝時代(1673年~)には遊女屋74軒・遊女766人が在籍。全盛期の元禄時代(1688年~)には1443人の遊女がいたとされる。

 それは他の遊郭と異なる丸山の事情のためだ。

「主に長崎の町民や上方の商人たちが多く出入りしていましたが、丸山の遊女が唐人屋敷や阿蘭陀屋敷(出島)への出入りが許されていたため、唐人やオランダ人との交流がありました。そのため、遊女を『日本行き』『唐人行き』『阿蘭陀行き』と区別していました。この丸山だけは日本はおろか海外にまで名の知れた国際的な遊里だったんです」

 しかし、「丸山遊郭」は売春防止法により姿を消す。かつては、観光客はおろか地元住民も足を踏み入れる場所ではなかったが、近年、文化的価値が見直されて、観光地となっている。

「残念ながら、長崎には“遊び”の場は少ないのが現状です。繁華街ではエステ店の中国人だけは誘ってきます。まるで日本の女子大生のようにアカ抜けたルックスなんですが、競争相手がいない分、強気で60分2万円。夕焼けに染まる街を歩いていると、パブに金髪美女のホステスが入っていく姿を見たんです。ついつい江戸時代の出島の情緒を感じて、割高でもエステ店に行ってしまいたくなる」

 かつて遊郭で遊んだ男は門を出てから、その方向を見返りながら名残を惜しんだ。現代の遊郭跡でそんな気分を味わうのも悪くはないのであった。