奈良「騒音おばさん」裁判傍聴ファイル(1)家族が難病で次々と寝たきりに ツイート 2013/09/24 これもやはり「異形の者」による犯罪である。傷害罪で逮捕され、かつてワイドショー番組は競い合って報じたものだった。服役を終えたその犯人のことを、筆者はいまだに忘れられないでいる。 奈良県生駒市内の閑静なベッドタウン。どこといって特徴のない一軒の和風家屋で、今しも小太りの主婦がラジカセから大音量のダンスミュージックをかき鳴らし、自宅ベランダから身を乗り出して日干しした布団を力いっぱい叩く光景があった。「♪引っ越し、引っ越し、さっさと引っ越しィ! しばくぞっ」 小太りのおばさんはひたすらラップのようにわめき散らしていた。 人呼んで、「騒音おばさん」。現在は60代半ばの鈴木淑子さん=仮名=の姿がテレビの画面から消えて、かれこれ7年以上の月日が流れている。 10年以上にわたり、近隣に騒音をまき散らし、頭痛や不眠といった被害を与えたとして、奈良県警は05年4月、彼女を逮捕。06年4月21日、奈良地裁は懲役1年の判決を下した。 同年12月26日、控訴審判決が大阪高裁で行われ、懲役は1年8月に。裁判は最高裁まで持ち込まれ、07年4月10日、最高裁第3小法廷は、鈴木さん側の上告棄却を決定し、二審判決が確定したのだった。 99年の民事裁判にも鈴木さんは敗訴し、大阪高裁から近隣住民に60万円を支払うよう命じられたほか、06年7月に今度は最高裁から、近所の夫婦に対し200万円を支払うようにとの命令を受けていた。 北陸地方出身の鈴木さんは、地元の高校を卒業後、68年に消防士の夫と結婚した。1男2女をもうけたあと、86年に一家は大阪から奈良に転居した。鈴木さんは趣味のガーデニングに精を出すなどして、近隣とも明るく接していた。「多少、気性の激しいところはあったけど、フツーの方でしたよ」 住民の一人がそう語っている。そんな鈴木家に80年代前半、いきなり不幸が降りかかった。 遺伝的要素が強いと言われる難病(脊髄小脳変性症)のため、病弱だった長女と次女がそれぞれ寝たきりとなったのだ。鈴木さんは懸命に看病に努めた。しかし00年に長女が、03年に次女が相次いで鬼籍に入る。 さらに消防士の夫と、最後の頼みの長男までもが寝たきり状態となったのだ。鈴木さんの落胆、絶望は察するに余りある。趣味のガーデニングもなげうって、家族の看病に身を削った。 それは「看病地獄」とでも呼ぶべき、煉獄の毎日であったのだろう。その表情からは笑顔が消え、地域社会との交流もしだいになくなっていった。 失意の鈴木さんにかける言葉はどだい限られていた。誰も自分たちの気持ちはわからない。なぜ一家がこんな目にあわなければならないのか──。自問自答は無限に続いたに違いない。やがて親戚までもが離れてゆき、彼女は孤立状態のまま看病を続けた。その看病地獄によって精神の均衡を失ったことが、その後のエキセントリックな言動の引き金になったのだ。近隣とのトラブルが表面化したのは91年以降のことである。◆ジャーナリスト 中尾幸司 タグ: あの凶悪&異常犯罪「裁判傍聴ファイル」,強姦,特急サンダーバード,週刊アサヒ芸能 2013年 9/26号 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [奈良県] [北海道] [宮城県] [北海道] [岡山県] [岡山県] [岐阜県] [徳島県] [宮城県] [東京都]
これもやはり「異形の者」による犯罪である。傷害罪で逮捕され、かつてワイドショー番組は競い合って報じたものだった。服役を終えたその犯人のことを、筆者はいまだに忘れられないでいる。
奈良県生駒市内の閑静なベッドタウン。どこといって特徴のない一軒の和風家屋で、今しも小太りの主婦がラジカセから大音量のダンスミュージックをかき鳴らし、自宅ベランダから身を乗り出して日干しした布団を力いっぱい叩く光景があった。
「♪引っ越し、引っ越し、さっさと引っ越しィ! しばくぞっ」
小太りのおばさんはひたすらラップのようにわめき散らしていた。
人呼んで、「騒音おばさん」。現在は60代半ばの鈴木淑子さん=仮名=の姿がテレビの画面から消えて、かれこれ7年以上の月日が流れている。
10年以上にわたり、近隣に騒音をまき散らし、頭痛や不眠といった被害を与えたとして、奈良県警は05年4月、彼女を逮捕。06年4月21日、奈良地裁は懲役1年の判決を下した。
同年12月26日、控訴審判決が大阪高裁で行われ、懲役は1年8月に。裁判は最高裁まで持ち込まれ、07年4月10日、最高裁第3小法廷は、鈴木さん側の上告棄却を決定し、二審判決が確定したのだった。
99年の民事裁判にも鈴木さんは敗訴し、大阪高裁から近隣住民に60万円を支払うよう命じられたほか、06年7月に今度は最高裁から、近所の夫婦に対し200万円を支払うようにとの命令を受けていた。
北陸地方出身の鈴木さんは、地元の高校を卒業後、68年に消防士の夫と結婚した。1男2女をもうけたあと、86年に一家は大阪から奈良に転居した。鈴木さんは趣味のガーデニングに精を出すなどして、近隣とも明るく接していた。
「多少、気性の激しいところはあったけど、フツーの方でしたよ」
住民の一人がそう語っている。そんな鈴木家に80年代前半、いきなり不幸が降りかかった。
遺伝的要素が強いと言われる難病(脊髄小脳変性症)のため、病弱だった長女と次女がそれぞれ寝たきりとなったのだ。鈴木さんは懸命に看病に努めた。しかし00年に長女が、03年に次女が相次いで鬼籍に入る。
さらに消防士の夫と、最後の頼みの長男までもが寝たきり状態となったのだ。鈴木さんの落胆、絶望は察するに余りある。趣味のガーデニングもなげうって、家族の看病に身を削った。
それは「看病地獄」とでも呼ぶべき、煉獄の毎日であったのだろう。その表情からは笑顔が消え、地域社会との交流もしだいになくなっていった。
失意の鈴木さんにかける言葉はどだい限られていた。誰も自分たちの気持ちはわからない。なぜ一家がこんな目にあわなければならないのか──。自問自答は無限に続いたに違いない。やがて親戚までもが離れてゆき、彼女は孤立状態のまま看病を続けた。その看病地獄によって精神の均衡を失ったことが、その後のエキセントリックな言動の引き金になったのだ。近隣とのトラブルが表面化したのは91年以降のことである。
◆ジャーナリスト 中尾幸司