創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.1「AV界の帝王 村西とおるが明かす「顔射」「ハメ撮り」「駅弁」誕生秘話 「未亡人と対面立位の最中に『駅弁と言って』と囁かれ…

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創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.1「AV界の帝王 村西とおるが明かす「顔射」「ハメ撮り」「駅弁」誕生秘話 「未亡人と対面立位の最中に『駅弁と言って』と囁かれ…

2016/11/01

創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.1「AV界の帝王 村西とおるが明かす「顔射」「ハメ撮り」「駅弁」誕生秘話 「未亡人と対面立位の最中に『駅弁と言って』と囁かれ…


週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。

これまで制作したAVの本数は3000本以上。〝AV界の帝王”こと村西とおる監督(68)の歩みはAV界の革命児と言っても過言ではない。今やAVではお約束の「顔射」「ハメ撮り」「駅弁ファック」は全て村西監督の発明だ。その舞台裏を本誌に初めて明かす。

アサヒ芸能が創刊60周年ですか。いや~、おめでとうございます。仕事柄、アサ芸さんとは浅からぬおつきあいをさせてもらってきました。「村西とおる=アサヒ芸能」と言っても過言ではないでしょう(笑)。

今でも忘れられないのは1988年、私が2回目の逮捕(児童福祉法違反容疑)をされた日のことです。アサ芸の記者さんが、午前中にぶらりと、私の事務所を訪ねてきたんです。懇意にしていた記者だったので、特に不思議にも思わず、雑談に興じていました。しばらくすると、インターホンが鳴りました。やって来たのは数名の刑事と警察官。逮捕状を見せられ、その場で連行となりました。するとその記者さん、すかさずカメラを取り出し、「監督、こっち向いて!」と言って、パチリと1枚撮りました。まさに独占撮影です。

当時、警察が私の逮捕を狙っているという噂は、一部メディアの間で話題となっていました。アサ芸の記者さんは、この日に逮捕されるという情報をつかんでいたのでしょう。「親しき仲にもスクープあり」というプロ根性には、嫌みではなくお見それしました(笑)。

村西監督といえば、「ナイスですね~」の決めゼリフで一世を風靡。パンツ一丁でカメラを担ぎ、監督兼男優として、数多くの作品にも出演した。さらには、松坂季実子を世に出し「巨乳ブーム」の先駆けになるなど、数々の奇抜な仕掛けで80年代には時代の寵児として、たびたびマスコミにも取り上げられる存在だった。

私はAVの世界に入る前、北海道で、いわゆるビニ本の制作を手がけておりました。それ以前は、ゲーム機のリース業で、それなりに稼げていました。ある日、ゲーム機の新作発表会視察で上京した時、新宿・歌舞伎町で目にしたのがビニ本でした。定価1万円もする本が飛ぶように売れている。聞けば原価は数百円。「これだ!」と思いましたよ。

すぐさま、印刷工場をキャッシュで買い取り、札幌に販売店をオープンしました。1980年のことです。印刷・流通・販売を自社のグループで賄う体制を作ったことが功を奏したのでしょう。最盛期には全国に100店舗以上展開していました。

しかし、好事魔多し。「裏本」と呼ばれるヤツを販売したことで警察に目をつけられました。当時は毛が1本でも出ていたらダメな時代。カツラを股間に持ってきて「これでも捕まるんですか?」と聞いたら「捕まる」ですからね。結局、無修整の本を販売したとして、1984年にわいせつ図画販売容疑で逮捕されました。これが最初の逮捕です(笑)。

前科一犯として出所した時には無一文となっていました。それでどうしようかとなった時、裏本時代の仲間がAVメーカーに流れているのを見て「セックスを撮ろう!」とひらめきました。セックスを撮るのは昔から得意分野でしたからね。

別に、自分のセックスそのものに自信があるわけではないんです。私が得意なのはセックスの見せ方。演出や表現の部分で、見る人を興奮させるアイデアが次々とひらめいた。

ただ、意気込みとは裏腹に、最初は全然売れませんでした。1日の売り上げは10本程度。まったく金になりませんでした。

当時のAV業界は、前貼りを貼っての疑似本番が主流。「これでは絶対売れない」と思って、本番路線で行くことにしたのですが、皆から総スカンを食いました。「村西のところに行ったら強姦されちゃうぞ」とか悪評を立てられて(笑)。他のAVメーカーの連中からも「監督、ボカシ入れるのにわざわざ本番なんかやらなくていいよ。インチキでいいんだから」なんて言われました。

だが、素人監督ゆえのユーザー目線で、既存の慣行を破ったことで、村西監督率いるクリスタル映像は、「過激AVメーカー」として一躍注目されることとなった。

当時は専門の男優もほとんどいなかったので助監督を起用していました。素人の悲しさでしょうか、ある撮影で女優の巧妙な口舌テクに我慢できず、口の中に出してしまった。女優は怒りましたよ。1985年当時、女性の顔に男の精液がかかるなんてことは、一種のタブーでしたから。明らかな失敗シーンで、女優側の関係者にはひたすら謝罪しました。

しかし意外にも、この作品が受けた。すかさずハワイロケを敢行して、フィニッシュで女優たちの顔に精液をかける「顔面シャワー」のシーンを10本以上撮りだめました。疑似性交全盛の時代に、リアルを追求した過激さが評判となり、一気に売り上げが伸びました。

やり続けるうちに、アイデアがひらめくこともあります。私自身がカメラを担いで女優とセックスをする「ハメ撮り」もそうでした。今のようにAVというものが確立していない時代、女のコたちも人前でセックスを見せることへの抵抗感をなかなか拭えない。それでも、監督と2人きりならプライベートに近い感じを持つことができるんじゃないかと考えたわけです。

女性を正面から抱え上げる体位「駅弁ファック」は、みずからの体験をヒントにしたものです。若い頃、ホストクラブで働いていたことがあるのですが、お客様の中に40代半ばの華道の先生がいました。ある日、その彼女に〝お持ち帰り〟されて、一晩過ごすことになりました。セックスの最中、彼女が「立って、立って」とささやくんです。「十分勃っているのになあ」と不思議だったのですが、立ち上がれという意味だったんす(笑)。言うとおりにすると、次は「歩いて」と頼まれ、さらに「弁当、弁当と言って」とお願いされました。終わった時にはもうグッタリ。訳がわかりませんでしたが、ふと部屋の柱を見ると、制帽をかぶった男性の遺影が飾ってある。聞いてみると彼女のご主人。生前、今しがたの行為で彼女を楽しませてくれていたというんです。「駅弁」には未亡人の悲しみと思い出が込められたというわけです。

ひょんなことからAVにどっぷりつかって30年になりますが、これ以外の人生は考えられないですね。これからも、私にしか作れないようなエロスの世界を提案していきたいと思っています。