創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.2「お色気番組戦国時代 山本晋也監督も驚いた歌舞伎町と超大物の“接点” 「石原慎太郎さんに『棺桶風俗に行った』と告白された」」 ツイート 2016/11/02 週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。 黒のサングラスにキャップがトレードマークの山本晋也監督(77)。70年代の日活ロマンポルノの黄金時代を築いた監督が、次のフィールドに選んだのが、深夜のお色気番組だった。 80年代、テレビ朝日の深夜番組「トゥナイト」の人気コーナー「風俗街リポート」で〝ほとんどビョーキ〟という流行語を生み出した山本監督。「トゥナイト」は当時、新宿・歌舞伎町の風俗店取材を許可された唯一の深夜番組だった。その理由は、レポーターが山本監督だったからにほかならない。 「放送開始2〜3年前かな、僕とピンク映画のスタッフたちがチンピラと何度も本気で殴り合いのケンカをしたからなんだよね。ピンク映画は低俗な娯楽と見なされてたから、撮影してると彼らが絡んでくるわけ。その挑発に僕らも応戦するんだけど、チンピラと本気でケンカするなんて尋常じゃないでしょう? だから、『コイツら頭がおかしい』と、向こうがビビって引き下がっちゃう(笑)。あのケンカという下地で顔を覚えられたからこそなんだよね」 番組で宣伝した店が大繁盛するため、風俗街の元締めから「撮影の邪魔はするな」という〝お達し〟があったことも一助になったというが、取材は困難を極めたという。 「ヤクザまがいの店長に万札を握らされそうになって、何度走って逃げたことか。番組に出てボロ儲けしたら高飛びするつもりなんだよ。でも金をもらうのは癒着と同じだから、路地裏にある中華料理屋のオヤジにかくまってもらったりしてたねえ」 そんな監督にとって、新風営法が施行された85年2月13日の深夜0時の光景が忘れられないという。 「夜0時、一斉に歌舞伎町のネオンが消えるのを風俗嬢と一緒に飲み屋の2階から鑑賞する企画を放送したんだけど、梨元勝さんにマークされてたんだ。『トゥナイト』は独特の取材をするはずだからって。ネタバレは困るから、あの日はマスコミからも逃げ回った」 その後、風営法を施行した当事者である警視総監とも会った。 「パーティで『俺はお前とお前の番組を消してやろうと思った。でも、ピンク映画時代から消せなかった』と言われたのは参ったね。そんな昔からマークされてたのかよ! って(笑)」 しかし、風俗取材では災難にあうだけではなく意外な人物とも接点ができた。 「運輸大臣だった頃の石原慎太郎さん。仲がよかった立川談志を介して会ったんだ。歌舞伎町にあった『占いの館』という、男が棺桶に入る風俗店に行ったことがあるって言うから驚いたよ。国会議員で風俗店に行った経験をみずから話した男は、石原さんしか知らないね」 一方で、当時の民放の週末の深夜番組は打倒「オールナイトフジ」(フジテレビ系)を掲げ、お色気番組がしのぎを削っていた時代でもあった。中でも所ジョージが司会を務めた「海賊チャンネル」(日本テレビ系)にも山本監督は出演した。 「裸が映るまでのカウントダウンが入る人気コーナー『ティッシュタイム』の名付け親は、由利徹さん。毎回生放送だったけど、ある日、『今ヘアが映らなかった!?』って言われ、その回以降、VTRになった。映像がさらに際どくなったから、視聴者は喜んでたと思う」 ロマンポルノのみならず深夜のお色気番組の戦国時代を駆け抜けてきた山本監督。「こんなに楽しい番組に出演できたのは、ピンク映画の監督経験があるからこそ」だと断言する。 「監督になって4〜5年たった頃、初日の入りが気になって新宿コマ劇場の近くにあった新宿地球座に行ったんだよね。そうしたらチケット売り場で女にモテなさそうな、風采の上がらないフーテン風の男が、チケット代を値切ろうとしてるんだよ。『おばちゃん、頼むから100円まけて。俺、愛染恭子のファンなんだよ』と必死に。それを見た時に、『こういう、男としてイケてないヤツが大喜びする作品を作ろう』と決意したんだ。それがお客さん第一のポリシーになった原点」 全盛期は年間18本もの映画を手がける売れっ子、山本監督が忘れられないポルノ女優は‥‥。 「『未亡人下宿』シリーズに出演した橘雪子。色白で太ってるから真っ白で大きなズロースをはかせたんだけど、これがよく似合うんだ。ズロースを脱ぐと現れる巨大なヒップが圧巻だった。彼女を撮って初めて、ピンク映画は顔だけでも色気だけでも足りない。母性の塊を男は求めてると悟った。今、ピンク映画館は壊滅状態で『トゥナイト』みたな地上波の番組もないけど、ああいうお色気番組ぐらいは復活してほしいね」 10月28日には「風俗という病い」(幻冬舎)を上梓する山本監督。「ほとんどビョーキ」状態だったお色気番組の復活を望みたい。 タグ: アサヒ芸能,創刊60周年,山本晋也監督 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [愛媛県] [岐阜県] [北海道] [北海道] [愛媛県] [静岡県] [沖縄県] [岐阜県] [東京都] [愛媛県]
週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。
黒のサングラスにキャップがトレードマークの山本晋也監督(77)。70年代の日活ロマンポルノの黄金時代を築いた監督が、次のフィールドに選んだのが、深夜のお色気番組だった。
80年代、テレビ朝日の深夜番組「トゥナイト」の人気コーナー「風俗街リポート」で〝ほとんどビョーキ〟という流行語を生み出した山本監督。「トゥナイト」は当時、新宿・歌舞伎町の風俗店取材を許可された唯一の深夜番組だった。その理由は、レポーターが山本監督だったからにほかならない。
「放送開始2〜3年前かな、僕とピンク映画のスタッフたちがチンピラと何度も本気で殴り合いのケンカをしたからなんだよね。ピンク映画は低俗な娯楽と見なされてたから、撮影してると彼らが絡んでくるわけ。その挑発に僕らも応戦するんだけど、チンピラと本気でケンカするなんて尋常じゃないでしょう? だから、『コイツら頭がおかしい』と、向こうがビビって引き下がっちゃう(笑)。あのケンカという下地で顔を覚えられたからこそなんだよね」
番組で宣伝した店が大繁盛するため、風俗街の元締めから「撮影の邪魔はするな」という〝お達し〟があったことも一助になったというが、取材は困難を極めたという。
「ヤクザまがいの店長に万札を握らされそうになって、何度走って逃げたことか。番組に出てボロ儲けしたら高飛びするつもりなんだよ。でも金をもらうのは癒着と同じだから、路地裏にある中華料理屋のオヤジにかくまってもらったりしてたねえ」
そんな監督にとって、新風営法が施行された85年2月13日の深夜0時の光景が忘れられないという。
「夜0時、一斉に歌舞伎町のネオンが消えるのを風俗嬢と一緒に飲み屋の2階から鑑賞する企画を放送したんだけど、梨元勝さんにマークされてたんだ。『トゥナイト』は独特の取材をするはずだからって。ネタバレは困るから、あの日はマスコミからも逃げ回った」
その後、風営法を施行した当事者である警視総監とも会った。
「パーティで『俺はお前とお前の番組を消してやろうと思った。でも、ピンク映画時代から消せなかった』と言われたのは参ったね。そんな昔からマークされてたのかよ! って(笑)」
しかし、風俗取材では災難にあうだけではなく意外な人物とも接点ができた。
「運輸大臣だった頃の石原慎太郎さん。仲がよかった立川談志を介して会ったんだ。歌舞伎町にあった『占いの館』という、男が棺桶に入る風俗店に行ったことがあるって言うから驚いたよ。国会議員で風俗店に行った経験をみずから話した男は、石原さんしか知らないね」
一方で、当時の民放の週末の深夜番組は打倒「オールナイトフジ」(フジテレビ系)を掲げ、お色気番組がしのぎを削っていた時代でもあった。中でも所ジョージが司会を務めた「海賊チャンネル」(日本テレビ系)にも山本監督は出演した。
「裸が映るまでのカウントダウンが入る人気コーナー『ティッシュタイム』の名付け親は、由利徹さん。毎回生放送だったけど、ある日、『今ヘアが映らなかった!?』って言われ、その回以降、VTRになった。映像がさらに際どくなったから、視聴者は喜んでたと思う」
ロマンポルノのみならず深夜のお色気番組の戦国時代を駆け抜けてきた山本監督。「こんなに楽しい番組に出演できたのは、ピンク映画の監督経験があるからこそ」だと断言する。
「監督になって4〜5年たった頃、初日の入りが気になって新宿コマ劇場の近くにあった新宿地球座に行ったんだよね。そうしたらチケット売り場で女にモテなさそうな、風采の上がらないフーテン風の男が、チケット代を値切ろうとしてるんだよ。『おばちゃん、頼むから100円まけて。俺、愛染恭子のファンなんだよ』と必死に。それを見た時に、『こういう、男としてイケてないヤツが大喜びする作品を作ろう』と決意したんだ。それがお客さん第一のポリシーになった原点」
全盛期は年間18本もの映画を手がける売れっ子、山本監督が忘れられないポルノ女優は‥‥。
「『未亡人下宿』シリーズに出演した橘雪子。色白で太ってるから真っ白で大きなズロースをはかせたんだけど、これがよく似合うんだ。ズロースを脱ぐと現れる巨大なヒップが圧巻だった。彼女を撮って初めて、ピンク映画は顔だけでも色気だけでも足りない。母性の塊を男は求めてると悟った。今、ピンク映画館は壊滅状態で『トゥナイト』みたな地上波の番組もないけど、ああいうお色気番組ぐらいは復活してほしいね」
10月28日には「風俗という病い」(幻冬舎)を上梓する山本監督。「ほとんどビョーキ」状態だったお色気番組の復活を望みたい。