創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.3「「Tバッククイーン」伝説 「飯島愛ちゃんとの“不仲説”の真相をお話しします」 共演・細川ふみえが「ギルガメ」舞台裏を本誌に ツイート 2016/11/03 週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。 今やタレントがAV女優に転身する時代だが、芸能界とAV業界の「壁」を取っ払ったのが飯島愛(享年36)だった。「Tバック女王」から同性も憧れる本音タレントへ。その一部始終を目撃してきた“フーミン”こと細川ふみえ(44)が、初めてその胸中を明かした。 巨乳グラドルとして男性誌のグラビアを総なめにしていた細川と、ボディコンのスカートをたくし上げ、Tバックパンティと桃尻ヒップで世の男性をトリコにしていた2人の共演が実現したのが、92年にスタートしたテレビ東京系の深夜番組「ギルガメッシュないと」だった。 番組では、細川と飯島が司会を務める一方、レギュラーのイジリー岡田が、憂木瞳や城麻美などの人気AV女優をセクハラ三昧する内容で、一躍、深夜の名物番組に。細川が振り返る。 「あの頃、私は芸能界もテレビの世界もまだよくわかってないことだらけなうえに、司会のお仕事は初挑戦。今思えば案外、気楽に番組へ参加していたような気もしますけど(笑)、本番前日までにいただいた台本を読み込むことで精いっぱいだったんです。全力で努力しても本番では、イジリー岡田さんとアナウンサーの日高充さんが額に汗をかくハプニングが多い過激な番組でしたから、誰かといがみ合う余裕なんてありませんでした。それに私、愛ちゃんのことは心から尊敬していました」 癒やし系のフーミンに対し、毒舌が売り物の飯島。しかし両者ともにテレビ番組の進行役に不慣れなぎこちなさが、かえって「初々しい」と若者の視聴者に支持された。その一方で、当時の週刊誌では不仲説も流れたほどだった。しかし細川は不仲説は「デマです」と笑いながら噂を一蹴する。 「実は、スタジオ入りする時の愛ちゃんは毎回、自宅にいるかのようなゆる~い雰囲気ですっぴん。当時はまだ使われていなかった〝癒やし系〟という言葉がぴったり当てはまるような感じで、会うたびにかわいいなと思っていました。でも、本番になると〝飯島愛〟にガラリと一変するんです。カメラから視線を外さずキリリとした表情で、リハーサルでは頭に入っていなかったはずのセリフを全部、すらすらと言えちゃう。イジリー岡田さんと、『愛ちゃんはものすごく頭がいいよね』と絶賛した記憶があります」 その後、飯島は00年に自伝「プラトニック・セックス」を発表。彼女に憧れた女性が次々とAV女優になるほどの社会現象となった。飯島の登場で、AV女優は社会的に認知され現在に至っている。細川が言う。 「持って生まれた地頭のよさに加えて、度胸と集中力も持ち合わせていたから、私には愛ちゃんがこの世界にとても向いているように見えました。学ぶべき点があった愛ちゃんは、今も私の心の中に住んでいます」 08年に自宅で死亡しているのが発見されてからまる8年。彼女を超える「AVクイーン」はいまだ現れていない。 タグ: アサヒ芸能,創刊60周年,飯島愛,細川ふみえ エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [韓国] [静岡県] [石川県] [東京都] [東京都] [北海道] [茨城県] [北海道] [東京都] [奈良県]
週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。
今やタレントがAV女優に転身する時代だが、芸能界とAV業界の「壁」を取っ払ったのが飯島愛(享年36)だった。「Tバック女王」から同性も憧れる本音タレントへ。その一部始終を目撃してきた“フーミン”こと細川ふみえ(44)が、初めてその胸中を明かした。
巨乳グラドルとして男性誌のグラビアを総なめにしていた細川と、ボディコンのスカートをたくし上げ、Tバックパンティと桃尻ヒップで世の男性をトリコにしていた2人の共演が実現したのが、92年にスタートしたテレビ東京系の深夜番組「ギルガメッシュないと」だった。
番組では、細川と飯島が司会を務める一方、レギュラーのイジリー岡田が、憂木瞳や城麻美などの人気AV女優をセクハラ三昧する内容で、一躍、深夜の名物番組に。細川が振り返る。
「あの頃、私は芸能界もテレビの世界もまだよくわかってないことだらけなうえに、司会のお仕事は初挑戦。今思えば案外、気楽に番組へ参加していたような気もしますけど(笑)、本番前日までにいただいた台本を読み込むことで精いっぱいだったんです。全力で努力しても本番では、イジリー岡田さんとアナウンサーの日高充さんが額に汗をかくハプニングが多い過激な番組でしたから、誰かといがみ合う余裕なんてありませんでした。それに私、愛ちゃんのことは心から尊敬していました」
癒やし系のフーミンに対し、毒舌が売り物の飯島。しかし両者ともにテレビ番組の進行役に不慣れなぎこちなさが、かえって「初々しい」と若者の視聴者に支持された。その一方で、当時の週刊誌では不仲説も流れたほどだった。しかし細川は不仲説は「デマです」と笑いながら噂を一蹴する。
「実は、スタジオ入りする時の愛ちゃんは毎回、自宅にいるかのようなゆる~い雰囲気ですっぴん。当時はまだ使われていなかった〝癒やし系〟という言葉がぴったり当てはまるような感じで、会うたびにかわいいなと思っていました。でも、本番になると〝飯島愛〟にガラリと一変するんです。カメラから視線を外さずキリリとした表情で、リハーサルでは頭に入っていなかったはずのセリフを全部、すらすらと言えちゃう。イジリー岡田さんと、『愛ちゃんはものすごく頭がいいよね』と絶賛した記憶があります」
その後、飯島は00年に自伝「プラトニック・セックス」を発表。彼女に憧れた女性が次々とAV女優になるほどの社会現象となった。飯島の登場で、AV女優は社会的に認知され現在に至っている。細川が言う。
「持って生まれた地頭のよさに加えて、度胸と集中力も持ち合わせていたから、私には愛ちゃんがこの世界にとても向いているように見えました。学ぶべき点があった愛ちゃんは、今も私の心の中に住んでいます」
08年に自宅で死亡しているのが発見されてからまる8年。彼女を超える「AVクイーン」はいまだ現れていない。