創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.6「アイデア風俗栄枯盛衰記 なめだるま親方が見届けた「フードルブーム」の発火点 「ノーパン喫茶のイヴちゃんにはファンクラブが3 ツイート 2016/11/06 週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。 バブル真っ盛りの80年代は性風俗も爛熟期を迎えていた。風俗潜入取材のパイオニア、なめだるま親方こと島本慶氏が体験したアイデアと遊び心満載の風俗を振り返る。 「当時を語るために外せないのはノーパン喫茶ブーム。人気が爆発したのは83年ですが、1号店は76年に開店した、京都の鴨川沿いにある『ジャーニー』です。不動産屋のオーナーが経営していた喫茶店を業種転換して大成功しました。全盛期の東京には、山手線の各駅全てに店舗がありました。ノーパン喫茶の取材に疲れ、休憩のために入った店がノーパン喫茶だった、なんてこともありましたね(笑)」 島本氏によれば、風俗の黄金時代は新風営法施行前夜の83年に尽きるという。 「僕が最も衝撃を受けた、一日中大宴会をしているノーパン喫茶『あべのスキャンダル』も、発祥は大阪。アイデアフーゾクの大半は関西方面から生まれて東京へと流れてきた。客を楽しませて金儲けする、関西の商人魂がユニークなフーゾクを生み出してきたんです」 だが、流行は2年半で収束。そのあとに生まれたのが「ファッションヘルス」だ。 「もともとファッションヘルスは、ノーパン喫茶の店のトイレでオナニーする男性客用に、店が個室を用意したのが始まりです。ヘルスの誕生により、本番なしのサービスが次々と生まれました」 次々と風俗界のアイドルこと〝フードル〟が誕生したのもこの時期からだ。 「あの頃のトップフードルはイヴちゃん。小林ひとみを少し色っぽくしたような感じで、スタイル抜群。肌もキレイで、胸の形も申し分なし。特に熱を上げたのは大学生で、最低でも3つのファンクラブが存在するほど爆発的人気でした」 同時期、実は島本氏はオリジナル風俗を考案した。 「女のコと相撲を取り、そのあとエッチになだれ込む『相撲ヘルス』です。マニアな客には大ウケしましたが、フンドシOKな女のコを集めるのに難儀しました」 とにかくアイデア一発で一獲千金が狙えるとあって、あの手この手の新業種が雨後のタケノコのように出現した。 「のぞき部屋も懐かしいですね。ちょうどエイズ騒動が持ち上がった頃でもあり、他の客と顔を合わせることなくのぞき窓から女のコのオナニーを見られるというフレコミで大繁盛。ラッキーホールは今となってはきわめて無理のあるフーゾクだったと思います。板の壁に松田聖子や南沙織、アグネス・チャンらアイドルの等身大のポスターを貼り、局部の部分だけを丸くくり抜き、その穴にペニスを挿入してしごいてもらうんですから(笑)。業界では、2本同時にヌク、伝説の〝ゴッドハンド〟と呼ばれた千景ねえさんが有名でした」 現在はデリヘルが主流となり、もはや過去の遺産となってしまったアイデア風俗だが、種類は多岐にわたった。 「愛人バンクにデート喫茶、回春マッサージにマジックミラー。数え上げればキリがありませんが、あの時代はもう戻ってきません。規制が厳しくなり制約が増えたため、フーゾクがパターン化してしまったからです。僕と同じ時代を生きた読者の皆さんは、幸せな経験ができた貴重な世代ですよ」 さて、諸兄が今カムバックしてほしいと願う風俗は、どれかな…。 タグ: アサヒ芸能,創刊60周年,島本慶 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [奈良県] [韓国] [茨城県] [東京都] [北海道] [三重県] [宮城県] [青森県] [石川県] [愛媛県]
週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。
バブル真っ盛りの80年代は性風俗も爛熟期を迎えていた。風俗潜入取材のパイオニア、なめだるま親方こと島本慶氏が体験したアイデアと遊び心満載の風俗を振り返る。
「当時を語るために外せないのはノーパン喫茶ブーム。人気が爆発したのは83年ですが、1号店は76年に開店した、京都の鴨川沿いにある『ジャーニー』です。不動産屋のオーナーが経営していた喫茶店を業種転換して大成功しました。全盛期の東京には、山手線の各駅全てに店舗がありました。ノーパン喫茶の取材に疲れ、休憩のために入った店がノーパン喫茶だった、なんてこともありましたね(笑)」
島本氏によれば、風俗の黄金時代は新風営法施行前夜の83年に尽きるという。
「僕が最も衝撃を受けた、一日中大宴会をしているノーパン喫茶『あべのスキャンダル』も、発祥は大阪。アイデアフーゾクの大半は関西方面から生まれて東京へと流れてきた。客を楽しませて金儲けする、関西の商人魂がユニークなフーゾクを生み出してきたんです」
だが、流行は2年半で収束。そのあとに生まれたのが「ファッションヘルス」だ。
「もともとファッションヘルスは、ノーパン喫茶の店のトイレでオナニーする男性客用に、店が個室を用意したのが始まりです。ヘルスの誕生により、本番なしのサービスが次々と生まれました」
次々と風俗界のアイドルこと〝フードル〟が誕生したのもこの時期からだ。
「あの頃のトップフードルはイヴちゃん。小林ひとみを少し色っぽくしたような感じで、スタイル抜群。肌もキレイで、胸の形も申し分なし。特に熱を上げたのは大学生で、最低でも3つのファンクラブが存在するほど爆発的人気でした」
同時期、実は島本氏はオリジナル風俗を考案した。
「女のコと相撲を取り、そのあとエッチになだれ込む『相撲ヘルス』です。マニアな客には大ウケしましたが、フンドシOKな女のコを集めるのに難儀しました」
とにかくアイデア一発で一獲千金が狙えるとあって、あの手この手の新業種が雨後のタケノコのように出現した。
「のぞき部屋も懐かしいですね。ちょうどエイズ騒動が持ち上がった頃でもあり、他の客と顔を合わせることなくのぞき窓から女のコのオナニーを見られるというフレコミで大繁盛。ラッキーホールは今となってはきわめて無理のあるフーゾクだったと思います。板の壁に松田聖子や南沙織、アグネス・チャンらアイドルの等身大のポスターを貼り、局部の部分だけを丸くくり抜き、その穴にペニスを挿入してしごいてもらうんですから(笑)。業界では、2本同時にヌク、伝説の〝ゴッドハンド〟と呼ばれた千景ねえさんが有名でした」
現在はデリヘルが主流となり、もはや過去の遺産となってしまったアイデア風俗だが、種類は多岐にわたった。
「愛人バンクにデート喫茶、回春マッサージにマジックミラー。数え上げればキリがありませんが、あの時代はもう戻ってきません。規制が厳しくなり制約が増えたため、フーゾクがパターン化してしまったからです。僕と同じ時代を生きた読者の皆さんは、幸せな経験ができた貴重な世代ですよ」
さて、諸兄が今カムバックしてほしいと願う風俗は、どれかな…。