創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.7「巨乳ブームはここから生まれた “元祖Dカップ”中村京子が「ハダカの履歴書」を全告白 「カラオケビデオの撮影のはずが気づけば

夜ネタ

創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.7「巨乳ブームはここから生まれた “元祖Dカップ”中村京子が「ハダカの履歴書」を全告白 「カラオケビデオの撮影のはずが気づけば

2016/11/07

創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.7「巨乳ブームはここから生まれた “元祖Dカップ”中村京子が「ハダカの履歴書」を全告白 「カラオケビデオの撮影のはずが気づけば

週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。

世の中にまだ「巨乳」という言葉すらなかった時代、みごとなDカップをウリにヌードグラビアを席巻した中村京子(55)。たわわな胸でたどった30年間のハダカ人生を振り返る。

公称はDカップだったけど、実際はFくらいありましたね。今のようにブラジャーのサイズも豊富じゃなかったから、いつもキツめのものをつけていました。

中村京子がハダカ業界を歩むきっかけとなったのは、静岡県内の大学在学中だった82年の「にっかつロマンポルノコンテスト」。応募の動機は、当時交際中だった恋人とのケンカだったという。

彼は映画好きで、雑誌から切り抜いた女優のピンナップを部屋に貼っているような人だったんです。そこで「ちょっと心配させてやろう」と思って応募してみたんです。そうしたら書類選考に通っちゃったので、東京見物がてら出かけてみたんです。

最終選考の水着審査で「ブラジャーを取ってください」と言われ、周りの女のコたちは次々とトップレスになっていく。そうなったら、自分だけ取らないわけにはいかないじゃないですか(笑)。

幸か不幸か、その様子はテレビの深夜番組で全国放映されていた。ちょっと心配させるだけだった恋人とは結局破局。しかし、番組を見ていたプロダクションから誘いを受け、静岡から週末だけ東京にやって来る出稼ぎ女子大生モデルとなる。「学生証付きヌード」が評判を呼び、週刊誌「平凡パンチ」で丑年にちなんで牛と一緒のヌードを披露。そこで命名された〝Dカップ京子〟が通り名となり、黎明期のAV出演へとつながっていく。

カラオケビデオの撮影だと言われて現場に行ったらAVだったんです(笑)。今みたいに過激な内容じゃなかったから、そんなに抵抗はなかったですね。

Vシネマと合わせれば、昨年までに500本以上の作品に関わってきました。老け顔のせいか、主演の子の母親役も多いんです。及川奈央ちゃんや蒼井そらちゃんとも共演しています。店(新宿ゴールデン街で経営しているバー「中村酒店」)にいらっしゃるお客さんの中には、彼女たちの作品で私を観たっていう人もいますね。

彼女の経歴でもう一つ外せないのが女相撲。今でこそ見かけなくなったが、80年代~90年代初頭、ビアガーデンなどの余興として人気を博したイベントだ。

女優に相撲を取らせるという企画モノのAV作品に出演した時、たまたま優勝してしまったんですよ。それで「相撲といえば中村」という評判が立ってしまって(笑)、声がかかるようになったんです。「デカチチブ」とか「タレチチブ」なんて四股名を付けられました。香港やフランスにも遠征しました。フランスでは変な勘違いをされたらしく、権威あるスポーツ雑誌の記者が取材に来て、専門的な質問をされました。適当にごまかしておきましたけど、悪いことをしましたね(笑)。