ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(4)「正直言ってずっと赤字でした」 ツイート 2013/06/07 最盛期は毎月10誌以上が発売されていたAV雑誌。日本で最初に発行されたのは82年創刊の「ビデオプレス」(大亜出版)と言われている。その翌年に「ワールド」が創刊し、それ以降はAVの隆盛とともに数多くのAV雑誌が誕生した。 しかしここ数年で、そのほとんどが姿を消した。09年には、「ワールド」と並ぶAV誌のもう一方の雄であった「オレンジ通信」(東京三世社)が、翌10年にはセルビデオ誌の代表格「ビデオメイトDX」(コアマガジン)、そして25年の老舗誌「ベストビデオ」(三和出版)が休刊した。 今年4月の時点で、残っていたAV雑誌は「ビデオ・ザ・ワールド」、「月刊DMM」(GOT)、「月刊ソフト・オン・デマンド」(ソフト・オン・デマンド)、「ベストビデオスーパードキュメント」(三和出版)のみとなっていた。そして「ワールド」が、ついに休刊を迎えた。「やっぱりネットの普及が大きかったですね。情報は無料だという意識が広がって、わざわざ雑誌を買う必要もなくなりました。それから成人向け雑誌を置いている書店も減りました。毎月少しずつ部数が減っていって、正直言ってずっと赤字でした。それでも、自分が社長になったので、この雑誌は潰したくなくて、できるだけ引っ張ったんですが、それも限界が来たということです」(中沢氏) 多くの雑誌は売り上げが落ちてくると大幅なリニューアルを試みる。しかし、「ワールド」は休刊まで基本的なフォーマットは変わることはなかった。「変えるにも、どうやって変えればいいのかわからなかったんですよ。何しろ売れているAV雑誌自体がないんだから。DVDを付けて売れ線の女の子を載せてという雑誌も売れていないんですよ。『DMM』みたいに、広告をたくさん載せて4時間のDVDが付いて290円なんて雑誌にかなうわけがないし‥‥」(中沢氏) 2代目編集長の吉田浩之氏も、AV雑誌というフォーマットに限界を感じたと言う。「AVのタイトルが増えすぎてるんですよ。月に1000本以上がリリースされてるんだから、もう誰も全てをフォローすることができない。裏(無修整)のほうも、配信オンリーの商品が増えてきて、もう把握ができない。こうなってくると、ジャンルにしぼるしかないけれど、そうすると読者がさらに限定されてしまうわけです」 実は「ワールド」の休刊はかなり以前から決まっていて、本来は8月号、つまり、あと2号発売されるはずだった。休刊号となった6月号を見ると表紙には休刊を告げる文字はなく、誌面の連載でも「あと二回で終わり」といった文もあるなど、休刊が急に決まったことがうかがえる。 それが前倒しになってしまったのは、4月にあった出版元であるコアマガジン社への家宅捜索の影響だった。この時の対象は「コミックメガストア」と「ニャン2倶楽部」であり、この2誌はすぐに休刊が発表されたわけだが、無関係な「ワールド」までなぜ休刊を迎えることになったのか。中沢氏によれば、「まぁ、ちょうどいい機会だったかなということですよ。黒字が出ていれば伸ばしただろうけど、あと2号出しても赤字が増えるだけですからね」 しかし、30年続いた雑誌の幕切れとしては、あまりにあっけなく残念だ。せめて歴史を振り返る特集を最終号でやってもらいたかったのだが‥‥。「もともとそれはやるつもりはありませんでした。ダメになったからやめるわけなので、キレイに終わってもしょうがないじゃないですか。そういうのは編集者の自己満足ですよ。なくなるものは、あっさりと消えたかったんです」(中沢氏) ともあれ、日本のAVの歴史とともに歩んできた「ビデオ・ザ・ワールド」はこうして消えてしまった。 次回は、AV雑誌の歴史と現状に迫る。◆フリーライター 安田理央 タグ: これがテレクラ!即アポ娘,コアマガジン,ソフト・オン・デマンド,ビデオ・ザ・ワールド,歌舞伎町,美里真里,裏ビデオ,週刊アサヒ芸能 2013年 6/6号 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [大分県] [宮城県] [東京都] [愛知県] [茨城県] [三重県] [徳島県] [沖縄県] [三重県] [栃木県]
最盛期は毎月10誌以上が発売されていたAV雑誌。日本で最初に発行されたのは82年創刊の「ビデオプレス」(大亜出版)と言われている。その翌年に「ワールド」が創刊し、それ以降はAVの隆盛とともに数多くのAV雑誌が誕生した。
しかしここ数年で、そのほとんどが姿を消した。09年には、「ワールド」と並ぶAV誌のもう一方の雄であった「オレンジ通信」(東京三世社)が、翌10年にはセルビデオ誌の代表格「ビデオメイトDX」(コアマガジン)、そして25年の老舗誌「ベストビデオ」(三和出版)が休刊した。
今年4月の時点で、残っていたAV雑誌は「ビデオ・ザ・ワールド」、「月刊DMM」(GOT)、「月刊ソフト・オン・デマンド」(ソフト・オン・デマンド)、「ベストビデオスーパードキュメント」(三和出版)のみとなっていた。そして「ワールド」が、ついに休刊を迎えた。
「やっぱりネットの普及が大きかったですね。情報は無料だという意識が広がって、わざわざ雑誌を買う必要もなくなりました。それから成人向け雑誌を置いている書店も減りました。毎月少しずつ部数が減っていって、正直言ってずっと赤字でした。それでも、自分が社長になったので、この雑誌は潰したくなくて、できるだけ引っ張ったんですが、それも限界が来たということです」(中沢氏)
多くの雑誌は売り上げが落ちてくると大幅なリニューアルを試みる。しかし、「ワールド」は休刊まで基本的なフォーマットは変わることはなかった。
「変えるにも、どうやって変えればいいのかわからなかったんですよ。何しろ売れているAV雑誌自体がないんだから。DVDを付けて売れ線の女の子を載せてという雑誌も売れていないんですよ。『DMM』みたいに、広告をたくさん載せて4時間のDVDが付いて290円なんて雑誌にかなうわけがないし‥‥」(中沢氏)
2代目編集長の吉田浩之氏も、AV雑誌というフォーマットに限界を感じたと言う。
「AVのタイトルが増えすぎてるんですよ。月に1000本以上がリリースされてるんだから、もう誰も全てをフォローすることができない。裏(無修整)のほうも、配信オンリーの商品が増えてきて、もう把握ができない。こうなってくると、ジャンルにしぼるしかないけれど、そうすると読者がさらに限定されてしまうわけです」
実は「ワールド」の休刊はかなり以前から決まっていて、本来は8月号、つまり、あと2号発売されるはずだった。休刊号となった6月号を見ると表紙には休刊を告げる文字はなく、誌面の連載でも「あと二回で終わり」といった文もあるなど、休刊が急に決まったことがうかがえる。
それが前倒しになってしまったのは、4月にあった出版元であるコアマガジン社への家宅捜索の影響だった。この時の対象は「コミックメガストア」と「ニャン2倶楽部」であり、この2誌はすぐに休刊が発表されたわけだが、無関係な「ワールド」までなぜ休刊を迎えることになったのか。中沢氏によれば、
「まぁ、ちょうどいい機会だったかなということですよ。黒字が出ていれば伸ばしただろうけど、あと2号出しても赤字が増えるだけですからね」
しかし、30年続いた雑誌の幕切れとしては、あまりにあっけなく残念だ。せめて歴史を振り返る特集を最終号でやってもらいたかったのだが‥‥。
「もともとそれはやるつもりはありませんでした。ダメになったからやめるわけなので、キレイに終わってもしょうがないじゃないですか。そういうのは編集者の自己満足ですよ。なくなるものは、あっさりと消えたかったんです」(中沢氏)
ともあれ、日本のAVの歴史とともに歩んできた「ビデオ・ザ・ワールド」はこうして消えてしまった。
次回は、AV雑誌の歴史と現状に迫る。
◆フリーライター 安田理央