大西結花「借金返済ヘアヌードの真相を告白」 ツイート 2013/08/28 トップアイドルが一転、所属事務所社長が借金苦で失踪、多額の負債を肩代わりするためヘアヌードになり‥‥。まるでドラマのようなこの出来事は、98年に大西結花(45)を襲った悲劇だったが、15年たった現在、本人がその真相を明かしてくれた。*──当時、「借金返済ヘアヌード」と騒がれました。 いいえ、違うんですよ。そもそも社長が失踪した原因も知らなかったくらいだし。当時は給料制で、天引きされていたはずの家賃や税金が約4年間支払われていなかった。それを払うハメになっただけで、「借金の肩代わり」なんてとんでもない。あとは、自分でローンを組んで買った車を取り立ての人に勝手にキーを作られて持っていかれてしまって、それも調べてみると会社名義になっていた。まだ支払いが残っていたのにね。それらの合計が約1000万円だったんです。──それをヘアヌードで返済した、と。 それも違います(笑)。オファーはたくさんあったんですけど、全部断っていました。でも、ヌードなしの「グラビア付きエッセイ集」の話が来てOKしたんです。撮影当日、メイクさんが「毛皮の衣装があるよ」と教えてくれて、その時に何となく「ワイルドに切った毛皮を、裸の女性が着ている」イメージが浮かびました。その後、カメラマンさんに撮影予定の絵コンテを見せてもらうと、「毛皮を着た裸の女性」が描かれていたんです。ビックリしましたね。「あれ、俺はヌードを撮るって聞いて来たんだけど、もしかして聞いてない? だったら、ここで帰ったほうがいいよ」 ヌードなんて聞いてないけれど、「でもこの絵、さっきのイメージと同じ。このひらめきは運命的だ! よし、やろう!」って(笑)。2人で「このタイミングで脱ぐなんて、絶対に“借金返済のため”って言われるよね」と大笑いしましたね。──ヘアヌードが実現したのは思いつきだった? 95年に映画「眠れる美女」で初ヌード濡れ場、映画と連動した最初のヘアヌード写真集「+FLORE+」(ワニブックス)を出しましたが、その時も思いつきでした(笑)。監督みずからのオファーでしたけど、原作と台本を読ませていただき、最初はお断りしたんです。半年後、監督から「もう一度考えてくれ」と。それでも私の考えは変わりませんでした。でも翌日目が覚めると「あの映画、やろう」って突然ひらめいて‥‥。事務所にOKを出したら「やるの!?」と驚いていました(笑)。それからは、脱ぐと決まれば前バリもニプレスも野暮ですから、何も気にせず全開で演じきりましたね。──2作ともみずからの意思で脱いだんですね。 そうですよ。そもそも私、当時移籍した事務所も給料制だったので「ヘアヌードで借金1000万円を返した」と言われてもピンとこないんですよ。できることなら1000万円の束を見てみた~い(笑)。 タグ: 大西結花,芸能美女“ブラックヌード”の舞台裏,週刊アサヒ芸能 2013年 8/29号 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [福島県] [北海道] [奈良県] [奈良県] [和歌山県] [韓国] [静岡県] [東京都] [岐阜県] [東京都]
トップアイドルが一転、所属事務所社長が借金苦で失踪、多額の負債を肩代わりするためヘアヌードになり‥‥。まるでドラマのようなこの出来事は、98年に大西結花(45)を襲った悲劇だったが、15年たった現在、本人がその真相を明かしてくれた。
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──当時、「借金返済ヘアヌード」と騒がれました。
いいえ、違うんですよ。そもそも社長が失踪した原因も知らなかったくらいだし。当時は給料制で、天引きされていたはずの家賃や税金が約4年間支払われていなかった。それを払うハメになっただけで、「借金の肩代わり」なんてとんでもない。あとは、自分でローンを組んで買った車を取り立ての人に勝手にキーを作られて持っていかれてしまって、それも調べてみると会社名義になっていた。まだ支払いが残っていたのにね。それらの合計が約1000万円だったんです。
──それをヘアヌードで返済した、と。
それも違います(笑)。オファーはたくさんあったんですけど、全部断っていました。でも、ヌードなしの「グラビア付きエッセイ集」の話が来てOKしたんです。撮影当日、メイクさんが「毛皮の衣装があるよ」と教えてくれて、その時に何となく「ワイルドに切った毛皮を、裸の女性が着ている」イメージが浮かびました。その後、カメラマンさんに撮影予定の絵コンテを見せてもらうと、「毛皮を着た裸の女性」が描かれていたんです。ビックリしましたね。
「あれ、俺はヌードを撮るって聞いて来たんだけど、もしかして聞いてない? だったら、ここで帰ったほうがいいよ」
ヌードなんて聞いてないけれど、「でもこの絵、さっきのイメージと同じ。このひらめきは運命的だ! よし、やろう!」って(笑)。2人で「このタイミングで脱ぐなんて、絶対に“借金返済のため”って言われるよね」と大笑いしましたね。
──ヘアヌードが実現したのは思いつきだった?
95年に映画「眠れる美女」で初ヌード濡れ場、映画と連動した最初のヘアヌード写真集「+FLORE+」(ワニブックス)を出しましたが、その時も思いつきでした(笑)。監督みずからのオファーでしたけど、原作と台本を読ませていただき、最初はお断りしたんです。半年後、監督から「もう一度考えてくれ」と。それでも私の考えは変わりませんでした。でも翌日目が覚めると「あの映画、やろう」って突然ひらめいて‥‥。事務所にOKを出したら「やるの!?」と驚いていました(笑)。それからは、脱ぐと決まれば前バリもニプレスも野暮ですから、何も気にせず全開で演じきりましたね。
──2作ともみずからの意思で脱いだんですね。
そうですよ。そもそも私、当時移籍した事務所も給料制だったので「ヘアヌードで借金1000万円を返した」と言われてもピンとこないんですよ。できることなら1000万円の束を見てみた~い(笑)。