男たちの桃源郷(1)身も心も癒された「心の遊郭」

男たちの桃源郷(1)身も心も癒された「心の遊郭」

2013/09/11

男たちの桃源郷(1)身も心も癒された「心の遊郭」

 かつて全国各地に点在し、日本文化の一端を担った遊郭。現在もわずかながら色艶の香りを残す跡地が存在する。裏風俗地帯を取材するルポライターが、出会った往時を思わせる「心の遊郭」を語った。

 江戸時代には全国に20カ所はあったとされる遊郭。時代とともに大衆化が進み、その中から浮世絵など多くの芸術や文化が生まれた。近年になると、私娼街も遊郭として認めたため、昭和初頭には500カ所以上の遊郭が存在していた。

 ところが、第二次大戦後に公娼制度が廃止。一部は特殊飲食街(赤線)として営業していたが、1958年の売春防止法施行で赤線も姿を消していった。

 しかし、遊郭の名残を残す跡地が今も存在する。日本の裏風俗地帯を取材しているルポライター、前田たかより氏に聞いた。

 まず、前田氏があげたのが、北海道の「薄野遊郭」だ。

 現在は歌舞伎町、中洲と並び、日本三大歓楽街と言われるようになったススキノだが、そのルーツは1871年(明治4年)まで遡ることができる。

「当時、札幌本府建設のために、数千人規模の大工が札幌に集まります。この大工を目当てにして、函館からは商人たちが移住してきたそうです。旅館業者が多く、宿で大工たちに女性を紹介し、札幌は色街となっていったのです」(以下、「」内のコメントは前田氏)

 地域に点在していた旅館を、官主導で現在の歓楽街とその周辺に集めた。それがススキノの起源となっている「薄野遊郭」だ。

「ちょうど小樽にも、同時に遊廓が官主導で作られています。当時は開拓地の慰安所として、税収を得る貴重な手段として『薄野遊郭』は誕生しました。1920年の廃止以降は飲食店街となりますが、一部ではカフェと称して売春を続けました。現在、激安でソープ遊びができるのも全て遊郭による恩恵だと思います」

 現在のススキノで冒険してみたいという方はフリーの客引きに声をかけるしかない。幸運に恵まれれば、本番アリの裏へと案内してくれるという。

「札幌は風俗嬢のレベルが高いので、客引きも『女の子が26~27歳なんですけどいいですか?』と恐縮していたのが印象的でした。相場は“最後まで”でも30分1万2000円ぐらい。石原さとみ似の女性で、おとなしそうだけど、手は抜かない濃厚な内容でした」

 しかし、ススキノには悪質な客引きが多いので、まずは表の風俗店のほうがオススメである。

 そして、かすかにだが遊郭の名残もある。

「ネオン街の端に『豊川稲荷札幌別院』があります。そこの石塔には遊郭の名前が刻まれており、確かに薄野遊郭が存在したことがわかります。遊女たちも供養しているので、遊ぶ前に手を合わせるぐらいはしたいものです」