大阪「自殺サイト」連続殺人裁判傍聴ファイル(2)性欲を抑える薬を処方して欲しかった ツイート 2013/09/24 小4時代、仕事から帰宅し、酒を飲んでいた父親が突然、前上をあおむけに押し倒し、腹の上に座り込んで無表情のまま見下ろすという意味不明の行為が続いた。この時の息ができない苦しさ、恐怖体験が、それと相前後して起こる出来事と不幸なリンクをする。それは大好きだった江戸川乱歩の小説を読んでいて、麻酔を嗅がせて失神させるシーンに戦慄した体験であった。 「何だか胸がドキドキし、興奮して勃起した」(前上証言・第2回公判) 小5から自慰行為をはじめ、程なく下校途中の小学校低学年の女児にいきなり近づき、後ろから口を塞いで息ができないようにするいたずらを繰り返した。中学時代を通じ、50回以上も繰り返したという。 一連の行為を通じて、前上は「人が窒息して苦しむ姿」にいよいよ固執するようになった。そして後年、殺害したいという願望も高じていったのだ。 他人を窒息させること、それ自体が快楽であった例としては、ドイツで起きた「マンハイムの首絞めブリガン」の例がある。 ブリガンは130件の性犯罪を自供。うち3件は強姦殺人であった。正面からの首絞め行為に興奮し、被害者の苦しむ様子を観察していた(新書館刊『現代の犯罪』参照)。 前上は地元の高校を卒業後、いったんは大学に進学したが、白のソックスをはいた友人男性の首を絞める不祥事で中退。職業を転々とする中、95年には当時の勤務先だった郵便局の同僚を襲って逮捕された。 さらには01年、通行人を次々に窒息させる傷害事件を起こし有罪判決。翌02年、路上で中学生を襲って再び逮捕され、04年3月まで服役した。 出所後は人材派遣会社に登録。印刷機械の製造工として真面目に勤務していた。勤務態度は良好、周囲の評価も高かった。 02年初頭から、前上はみずから開設したウェブサイトに、人を窒息させて殺害する小説を掲載したことも明らかになっている。 生前の前上と文通していた臨床心理士、長谷川博一氏の労作「殺人者はいかに誕生したか」(新潮社刊)によれば、どうやら前上はみずからの欲望の「ガス抜き」装置として小説執筆を位置づけていたらしい。 自身の罪を深く悔いていた前上は、2度ほど自殺を図っている。電子手帳には「死にたい」と記した日記も残されていた。精神科への通院にも積極的で、自身の欲望への対処法についても医師に相談を持ちかけていた。 「二度と事件を繰り返さないように、何とかしてほしくて、性欲を抑える薬も処方してもらいたかった」(前上証言・第4回公判) だが暗く強固な衝動には抗えず、ついに殺人劇の幕が開く。 ◆ジャーナリスト 中尾幸司 タグ: あの凶悪&異常犯罪「裁判傍聴ファイル」,大阪,自殺サイト,連続殺人事件,週刊アサヒ芸能 2013年 9/26号 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [栃木県] [静岡県] [長野県] [石川県] [岐阜県] [鹿児島県] [東京都] [韓国] [東京都] [徳島県]
小4時代、仕事から帰宅し、酒を飲んでいた父親が突然、前上をあおむけに押し倒し、腹の上に座り込んで無表情のまま見下ろすという意味不明の行為が続いた。この時の息ができない苦しさ、恐怖体験が、それと相前後して起こる出来事と不幸なリンクをする。それは大好きだった江戸川乱歩の小説を読んでいて、麻酔を嗅がせて失神させるシーンに戦慄した体験であった。
「何だか胸がドキドキし、興奮して勃起した」(前上証言・第2回公判)
小5から自慰行為をはじめ、程なく下校途中の小学校低学年の女児にいきなり近づき、後ろから口を塞いで息ができないようにするいたずらを繰り返した。中学時代を通じ、50回以上も繰り返したという。
一連の行為を通じて、前上は「人が窒息して苦しむ姿」にいよいよ固執するようになった。そして後年、殺害したいという願望も高じていったのだ。
他人を窒息させること、それ自体が快楽であった例としては、ドイツで起きた「マンハイムの首絞めブリガン」の例がある。
ブリガンは130件の性犯罪を自供。うち3件は強姦殺人であった。正面からの首絞め行為に興奮し、被害者の苦しむ様子を観察していた(新書館刊『現代の犯罪』参照)。
前上は地元の高校を卒業後、いったんは大学に進学したが、白のソックスをはいた友人男性の首を絞める不祥事で中退。職業を転々とする中、95年には当時の勤務先だった郵便局の同僚を襲って逮捕された。
さらには01年、通行人を次々に窒息させる傷害事件を起こし有罪判決。翌02年、路上で中学生を襲って再び逮捕され、04年3月まで服役した。
出所後は人材派遣会社に登録。印刷機械の製造工として真面目に勤務していた。勤務態度は良好、周囲の評価も高かった。
02年初頭から、前上はみずから開設したウェブサイトに、人を窒息させて殺害する小説を掲載したことも明らかになっている。
生前の前上と文通していた臨床心理士、長谷川博一氏の労作「殺人者はいかに誕生したか」(新潮社刊)によれば、どうやら前上はみずからの欲望の「ガス抜き」装置として小説執筆を位置づけていたらしい。
自身の罪を深く悔いていた前上は、2度ほど自殺を図っている。電子手帳には「死にたい」と記した日記も残されていた。精神科への通院にも積極的で、自身の欲望への対処法についても医師に相談を持ちかけていた。
「二度と事件を繰り返さないように、何とかしてほしくて、性欲を抑える薬も処方してもらいたかった」(前上証言・第4回公判)
だが暗く強固な衝動には抗えず、ついに殺人劇の幕が開く。
◆ジャーナリスト 中尾幸司