名物芸能プロ社長・石井光三の「スケベ大好き83年」

名物芸能プロ社長・石井光三の「スケベ大好き83年」

2015/01/27

名物芸能プロ社長・石井光三の「スケベ大好き83年」

コント赤信号や磯野貴理子らを育てた芸能プロ社長・石井光三氏(享年83)が胆管ガンで逝去した。芸人以上にオモロイ名物社長の「もう1つの豪快伝説」をプレイバックする!

「ウチの赤信号をたのんますわ」

強烈なダミ声関西弁で所属タレントを猛烈に売り込む姿が印象的だった石井社長。80年代半ば、「オレたちひょうきん族」で、ラサール石井がモノマネしたことでブレイクしたあとは、バラエティ番組などをにぎわすタレントとしても活躍した。アサヒ芸能にもたびたび登場、怪演ぶりを発揮していた。

90年5月31日号では、なんと性豪タレントとして登場。タレント養成所の所長時代に自分の娘を肉弾で売り込む母、そしてその娘との親子丼セックスを告白している。

「セックスに悩んでいる女、セックスに飢えている女、セックスで自分の喜びを取り返そうとする女、セックスで一時でも悩みを解消したい女‥‥、そういう女を対象に、ボクはセックスをしてきたんですね。だからこれは“人助け”。これからもバンバン人助けをします!」

と豪快に自論をまくしたてたものだった。

また、90年6月7日号では人気AV女優・樹まり子との対談に全裸で登場。

「芸能界はそんな甘いもんと違うんですよ。AV女優は甘く考えてますからな(略)これからもAV女優をやっていくんなら、早送りされんような女優にならんと」

とアクの強い弁舌で、終始、樹を圧倒するのだ。

89年12月21日号では、風俗突撃ルポを敢行。目黒のSMクラブへ出撃し、売れっ子女王様を相手に「下着ドロと被害者」というシュールなストーリープレイを展開し、緊縛姿で股間蹴りされ、顔面騎乗されるプレイをこなしている。

「取材は電話1秒で即決!『どの店に連れて行ってくれますんや』と大喜びしていました。当日はプレイ後の写真撮影中にボコッと突き出たおなかを気にする様子もなく、女の子を口説いていました。とにかくどんな仕事でも断らない。タレントのスケジュールがいっぱいなら、みずからが現場に出てくれる貴重な裏方さんでした」(同行した記者)

石井光三オフィスに所属し、「あばれヌンチャク」というお笑いコンビを組んでいた竹内幸輔氏が当時を振り返る。

「初めて会った時からひょうきん族で見たままのバカでかい声で陽気に笑うおじいさんでした。僕らの時代にはもうマネージャー業務はしてませんでしたが、『人を傷つけないネタをやることや。お笑いはみんなが幸せにならなければアカン』と熱く語られていたのがいちばん印象深いですね」

石井社長はみずからを「千人斬り」と自負する女好きキャラでもあったが、「新人の頃に一度、『女遊びする金ないやろ』とストリップ劇場のタダ券を50枚束で僕らにくれたのを覚えています。伝説は本当だったと思いました。十数年前の新年会では、餅を喉に詰まらせたことがあって、周りは背中を叩いたり、掃除機で吸ったり大騒動になった。結局、餅は取り出せたんですけど、その5分後にケロッと酒を飲んでいる社長を見て『この人は絶対死なない』と思ったんですが‥‥」(前出・竹内氏)

91年4月11日号の連載「おんなと自分史」では、「ボクの場合、普通に女をクドくゆうのはどうもうけつけへんねんな。人のモンを張り合うとか、恋人や旦那がいる女をクドいて成功するとか、そういうのにえらい快感を覚えるんですな。やっぱり、一種の病気でっしゃろなあ(笑)」と、浮気セックスを告白したあと、「でも死ぬときはヨソで死んだらあかん」と、はってでも自宅に帰ると誓っていた。

そんな名物社長が、家族に看取られ天に召されたのは、松の内の1月6日午後のことだった。合掌─。