創刊「60年の騒然男女」今明かされる「性の改革者」たちの肖像!! vol.5「記憶に残るアダルト女優 加藤鷹が忘れられない「淫乱女優たちのオフ素顔」 「豊丸は生き残るためにフィストファックまで見せた」 ツイート 2016/11/05 週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。 13年の引退までにセックスをした女性は実に9000人。カリスマ男優だった加藤鷹氏といえば、「ゴールドフィンガー」を駆使しての〝潮吹きの名手〟として君臨。これまでの性回顧録を開陳してもらった。 「潮吹きはオレが編み出したと思われているけど、実際は違うんですよ(笑)。古くは『元祖潮吹き女』と呼ばれた、窪園千枝子さんというストリッパーが披露しています。もともとはストリップや温泉など、AV以外でもてはやされていた芸を持ち込んだだけなんです」 と謙遜する鷹氏。そもそも潮吹き誕生のきっかけは、80年代のAV特有の大きなモザイクでも、何とか見せるための〝演出〟だったというのだ。 「80年代は、本番ができない女優が大勢いたんです。本番ができないとなるとアソコを舐めるかいじるの二択になるけど、当時のモザイクは濃いうえにヘアにまでかける規制があった。でも、それだと視聴者に何をしているのか伝わりづらいから、派手でエロくてヌケる映像を、というのが潮吹きを取り入れた発端です。村西とおる監督の顔面シャワーや、山田風。助監督のまんぐり返しも同じ経緯で考案されたはずです」 鷹氏といえば、これまで幾多の「記憶に残る女優」とも一戦を交えてきた。 「豊丸さんは最も忘れられない人。エリートな淫乱女優でした。彼女のすごいところは、失礼な言い方だけど顔やスタイル的にセールスポイントがないのに、業界で生き残るためにド淫乱女優という看板を選択し、徹して演じきったこと。クリスチャンだから最も踏み入れてはいけない仕事のはずなのに、白目を剝いて昇天したり、フィストファックまで見せたあの心意気は、ある意味、虚像の極みです」 さらにはファンならずとも「いんらんパフォーマンス 中に出して!」で共演した樹まり子も、忘れられない女優の一人であろう。 「この撮影がきっかけで5年半、同棲してましたからねえ。しかも男優人生で唯一、勃たなかった女優でもある。男って、好きな女の前ならペニスが元気になるもんだと信じてるじゃないですか。でも、好きな思いが強すぎると逆に使い物にならなくなる事実を教えてもらったんです」 淫乱系の女優のみならず、90年代に入っても鷹氏が衝撃を受けた女優がいる。森下くるみだ。 「彼女には今までの経験で培ったHow Toでは太刀打ちできないんです。魂でぶつからないと女は感じないことをあらためて諭された気分でした。でもデビュー作の『うぶ』は開始30分ぐらい、うんともすんとも言わない静かなビデオなのに大ヒットしたでしょう。一切デフォルメなしのリアリティのみで売れた女優は彼女ぐらいだし、オレも彼女以降、衝撃を受けた女優には出会っていません」 そんな鷹氏を語るうえで、女優のみならず、師と仰ぐAV界の名匠、代々木忠監督との出会いがなければ、「もっと早く引退していた」と振り返る。 「監督との最初の仕事は、1988年の『いんらんパフォーマンス』でした。女性を女神や菩薩という視点で撮影する姿を見て、当時29歳でキャリア1年の新人だったオレは、『ああ、自分はずっと女に粗末なことをしてきたんだな』と痛感したんです。以降、監督との仕事は修業でもあり人生勉強でもあり、自分の過去の清算場ともなりました」 恵まれた出会いに感謝する鷹氏の口元が緩む。まさに鷹氏の笑顔が、AVの黄金時代を物語っていた。 タグ: アサヒ芸能,創刊60周年,加藤鷹 エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [岩手県] [東京都] [岡山県] [神奈川県] [三重県] [茨城県] [新潟県] [香川県] [岡山県] [三重県]
週刊アサヒ芸能が創刊されたのが1956年。その翌年には売春防止法が施行され、日本の公娼制度は姿を消した。ところが、日本人のエロスに対する飽くなき探究心が「性のタブー」を逆手に取るように、日本の性文化は世界でも類のない独自の進化を遂げた。その裏には時代をリードした〝改革者たち〟の存在が欠かせない。そんな日本のSEXエリートたちの肖像を今一度振り返る。
13年の引退までにセックスをした女性は実に9000人。カリスマ男優だった加藤鷹氏といえば、「ゴールドフィンガー」を駆使しての〝潮吹きの名手〟として君臨。これまでの性回顧録を開陳してもらった。
「潮吹きはオレが編み出したと思われているけど、実際は違うんですよ(笑)。古くは『元祖潮吹き女』と呼ばれた、窪園千枝子さんというストリッパーが披露しています。もともとはストリップや温泉など、AV以外でもてはやされていた芸を持ち込んだだけなんです」
と謙遜する鷹氏。そもそも潮吹き誕生のきっかけは、80年代のAV特有の大きなモザイクでも、何とか見せるための〝演出〟だったというのだ。
「80年代は、本番ができない女優が大勢いたんです。本番ができないとなるとアソコを舐めるかいじるの二択になるけど、当時のモザイクは濃いうえにヘアにまでかける規制があった。でも、それだと視聴者に何をしているのか伝わりづらいから、派手でエロくてヌケる映像を、というのが潮吹きを取り入れた発端です。村西とおる監督の顔面シャワーや、山田風。助監督のまんぐり返しも同じ経緯で考案されたはずです」
鷹氏といえば、これまで幾多の「記憶に残る女優」とも一戦を交えてきた。
「豊丸さんは最も忘れられない人。エリートな淫乱女優でした。彼女のすごいところは、失礼な言い方だけど顔やスタイル的にセールスポイントがないのに、業界で生き残るためにド淫乱女優という看板を選択し、徹して演じきったこと。クリスチャンだから最も踏み入れてはいけない仕事のはずなのに、白目を剝いて昇天したり、フィストファックまで見せたあの心意気は、ある意味、虚像の極みです」
さらにはファンならずとも「いんらんパフォーマンス 中に出して!」で共演した樹まり子も、忘れられない女優の一人であろう。
「この撮影がきっかけで5年半、同棲してましたからねえ。しかも男優人生で唯一、勃たなかった女優でもある。男って、好きな女の前ならペニスが元気になるもんだと信じてるじゃないですか。でも、好きな思いが強すぎると逆に使い物にならなくなる事実を教えてもらったんです」
淫乱系の女優のみならず、90年代に入っても鷹氏が衝撃を受けた女優がいる。森下くるみだ。
「彼女には今までの経験で培ったHow Toでは太刀打ちできないんです。魂でぶつからないと女は感じないことをあらためて諭された気分でした。でもデビュー作の『うぶ』は開始30分ぐらい、うんともすんとも言わない静かなビデオなのに大ヒットしたでしょう。一切デフォルメなしのリアリティのみで売れた女優は彼女ぐらいだし、オレも彼女以降、衝撃を受けた女優には出会っていません」
そんな鷹氏を語るうえで、女優のみならず、師と仰ぐAV界の名匠、代々木忠監督との出会いがなければ、「もっと早く引退していた」と振り返る。
「監督との最初の仕事は、1988年の『いんらんパフォーマンス』でした。女性を女神や菩薩という視点で撮影する姿を見て、当時29歳でキャリア1年の新人だったオレは、『ああ、自分はずっと女に粗末なことをしてきたんだな』と痛感したんです。以降、監督との仕事は修業でもあり人生勉強でもあり、自分の過去の清算場ともなりました」
恵まれた出会いに感謝する鷹氏の口元が緩む。まさに鷹氏の笑顔が、AVの黄金時代を物語っていた。